我が家の出来事、行事    最上部が最新データー  
2008年の我が家の年中行事や季節の出来事等を綴ります。 2006年  2007年  2009年 2010年
2008年12月21日(日)「お正月用餅つき」
 今年ももうすぐお正月。我が家恒例の餅つきを実施。もち米は日野町にいる弟から分けてもらった。ハデ掛け、天日干しの乙女餅なので美味しいと思う。我が家は数年前からもち米は栽培していない。理由は苗作り、田植え、収穫作業等うるち米と分けて作業しないといけないので大変手間が掛かるからである。
餅つきも手間がかかり、4人〜5人は必要である。
@まず3日前からもち米をかやかす(磨いで水に浸す事)。A蒸籠に入れて約1時間程度蒸す。B蒸し上がったら餅つき機に入れて搗く。C20分〜30分で取り出して餅切機に入れる。D搾り出して適当な大きさに切り、丸餅に仕上げる。E少し硬くなるまで並べて乾かす。F1日程乾かしたら隣県の加工所(豆腐や餅を作っている)にお願いして真空パック詰めにしてもらう。
お昼はぜんざい、お雑煮、きなこ、大根おろし、生海苔等を用意して搗き立てのお餅を頂いた。私としては生海苔と大根おろしの絡み餅が一番美味しかった。
2008年12月17日(水)「特定保健指導セミナー受講」
 6月の健康診断で引っ掛かっていたメタボリックシンドロームの集団セミナーが会社で開かれ参加(強制的)した。
私の場合BMI値(25)、腹囲(+8p)、血圧(高・低+10)が基準値以上だった。
セミナーではメタボとは?貴方のメタボ度、メタボ解消対策、食べ物のカロリー度の認識等約2時間のお話と学習をした。
今まで少々腹が出てはいるがメタボとは認識していなかったので今回のセミナーは少々ショックだった。
セミナー後の個人指導でメタボ解消対策項目と目標体重・目標腹囲を設定して、来年3月までの間で達成するように指導された。
(「無理なく出来る対策を」と言われたけど)
今まで好きなだけ、好きなものを食い、飲み、わがままな食事をしてきた身としてはこれは大変なことである。
しかし、医師から貴方はこのままの生活を続けているとその内発病しますよと言われると対応せざるを得ない。まあ、「歳だから少し節制しないといけないなあ〜」と思っていたので今回は良い機会だと思って少し自分を厳しく規制してみようと思っている。
と言っても対策項目は、@アルコールを控えめにする事(毎日→週.3日)。A腹八分の食事。B徒歩を一日10分多くする。C休日は極力体を動かす(農業や運動)。
程度であるがこれがなかなか難しそうである。
また、目標減体重は-3kg、目標減腹囲は-2pである。さあ、目標達成目指して地道に努力・・・。Excelで目標達成までのグラフでも作ってみるか!
2008年12月07日(日)「雪景色」
 今年はもう二回目の雪が降った。昨日はしびれるほどの寒さだった。今朝も−4℃位に冷え込んだので綺麗なツララが出来ていた。山も雪化粧して冬本番の装いを見せ始めた。でも冬ごしらえはまだ出来ていないのでもうちょっと年末まで降らないでほしいのだけど・・・。
2008年11月19日(水)「晩秋の風物詩のはずが・・・」
 昨年作った干し柿が事のほか美味しかったので今年は出来るだけたくさん作ろうと頑張ったが柿を取り尽くす前に初雪が降ってしまった。
晩秋の風物詩「干し柿の簾」の背景が紅葉ではなく雪景色と化した。昨日の夕方から降り始めて今朝は屋根には10p近くはあっただろうか?もちろん車もスタッドレスタイヤなどに換えてはいないので今朝は電車通勤だった。それにしてもまだ11月中旬なのによく降ったものだ。
 初雪ついでに妻が作ったクリスマスリースも玄関前に飾り初め。
2008年10月13日(月) 「宮崎へ」
 息子のお嫁さんのお父さんが亡くなったので宮崎市に行ってきた。自宅を前夜20時ごろの電車で出発し山陽新幹線、JR九州の夜行特急「にちりん」で朝6時半に着いた。
私より1歳年上の60歳と言う若さだった。背中にずっしりと重石を背負わされたような気持ちで改札口を出た。
今年5月、2人娘の1人を嫁に出した時は病状が進んでいて結婚式も辛そうな様子だった。
2人の娘さんはこの数ヶ月ほとんど仕事を休んで看病してこられたようだ。娘さんたちの献身的な看病からお父さんが愛情を一身に掛けて育ててこられたこられただろうなあという気持ちが強く感じられた。
息子、娘の親同士今までの苦労話などをもっともっとしたかったがそれも叶わず残念だ。
聞いた話では大学時代は学生運動にもよく参加されたとか、私も労働運動に明け暮れた時代があった。
あの当時、我々団塊の世代を含む多くの若者が一党支配政治の打破や反戦運動、怒涛のように押し寄せる経済成長の歪みをどうにかしたいと言う思いに駆られてひたすらがむしゃら(半端な向こう見ず)に頑張ったのである。今思うと青春の情熱を一つのことに掛けられた良き時代だったのかも・・・。
まだ真夏の名残が感じられる南国宮崎は街のあちこちで深紅のハイビスカスやピンクのブーゲンビリアが咲いていた。  合掌

青島名物「ういろう」を買って帰った。このお店のういろうは真空パックではなく薄い木の皮で包んである。甘味も抑えてあり何か素朴な味がして私好みだった。
2008年9月28日(日) 「秋の風情」
 秋も本番。旧暦8月15日(9/14)が中秋の名月(十五夜)だった。
我が家も秋の風情を感じさせてくれるススキと吾亦紅とムラサキシキブなどを玄関に飾ってみたり・・。
 ところで十五夜の月を観賞する習慣は中国から伝わったそうだ。日本では平安時代に旧暦9月13日(10月11日)の十三夜の月を眺めて詩歌を詠んだのが始まりらしい。十五夜は団子や里芋等を供えることから芋名月、十三夜はちょうど食べ頃の大豆や栗などを供えることから豆名月または栗名月というそうだ。
 中国・日本では月を愛でる習慣が古くからある。私の記憶でも祖母は何時も、母は時々、高島易断暦を見ながら種蒔きや田植えの時期等を決めていた。
農業を営んでいると旧暦や節季の言い伝えは確かな事と思える節が多々ある。頭から「迷信だ」と決め付けずその言伝えの裏にある真意を見ぬく事が大切だと感じる今日このごろである。
 右端の画像 先週日曜日朝妻が悲鳴を上げるので2階に上がってみるとサッシの網戸にカマキリが逆立ちの姿勢で卵を産んでいる最中でした。
2008年9月7日(日) 「収穫物and女と男の料理」
 我が山里にも秋がやって来た。近所の親戚から今秋初物の竹シメジを頂いた。これは味噌汁や煮物にすると独特の香りが「秋だなあ〜」と感じさせる。
畑の作物も胡瓜は枯れてしまったがまだまだ夏物が生っている。
昨日と今日は妻と私とで自家製野菜をふんだん?に使った料理の競演をした。
妻はパスタ。私はパエリア。季節の移ろいを感じながら料理を作りお互いに味の批評をしながら味わうのはまた格別だ。
 8月下旬から続いている長雨的天候不順は来週には晴れてくれるでしょうか?
今年も雨に打たれて稲が倒れ始めた。倒れない稲を作るには土作りと肥料管理が大切だがなかなか思うようには行かない。
肥料も大幅に値上がりしたので来年は一部の田んぼでレンゲやクローバを植えて緑肥で栽培してみようと思い、今日ネット通販で種を注文した。
2008年8月24日(日) 「スプラウト」
 先日、仕事の関係でお邪魔した方から「スプラウト」と言う発芽したばかりの野菜を頂いた。スーパーやデパートで見かけたことはあるが食べた事はなかったので早速シジミやもずく、めかぶ等を買って帰りどんなものか味わってみた。。
まず、めかぶに添えて食べたがしゃきしゃきとした食感で酒の肴になる。シジミの味噌汁にも入れたがとても美味しかった。ピンクキャベツは赤紫色で刺身のツマに彩りよく合いそうだ。
発芽したばかりの野菜なのでミネラル、ビタミン等が豊富で健康食品として人気が出ているらしい。隣町で栽培、販売しておられます。
 ここに来てやっと我が家のピーマンがどんどん成り始めた。とても食い切れない。もう一つの画像は夏野菜スープである。材料はラビオリ、玉葱、にんじん、胡瓜、ズッキーニ、カボチャ、キャベツ、トマト、結構美味しかった。 
2008年8月19日(火) 「季節は秋の気配」
 先日、朝6時前2階北側の窓から外を見るとツバメらしき群れが100羽ほど電線に留まっていた。尻尾がまだ短く燕尾服スタイルに成っていないから今年巣立った若ツバメの一団のようだ。
ピィーチクパーチクなにやら話したりスーと飛び立たかと思うとすぐ戻ったりしている。
南帰行の日程検討や旅立つための練習をしたりしているのだろうか?
 日の出も6時ごろになったし夜は涼しさを超えて寒いくらいだ。
田んぼの稲も色付き始めた。季節は秋の装いを見せ始めている。
 右の見た目得体の知れない食べ物はスペインの料理ガスパチョだそうだ。野菜をミキサーに入れて混ぜたもので冷製スープだ。
息子のお嫁さんのブログに誘発され、妻が我が家の夏野菜で挑戦したものだが野菜の分量が適切でなかったらしくそれほど美味しいとは思わなかった・・・。
2008年8月16日(土) 「盂蘭盆:うらぼん」
 盂蘭盆は仏様のおられる家庭では1年の中で正月以上に慌しい行事です。
8月上旬までに墓掃除やら墓石磨きなどお盆の準備をしておきます。
13日早朝にオミナエシとミソハギを畑等から切ってきて事前に買っていたしきみや菊などと一緒に束にします。
 我が家は墓が多い(古い墓地と現在の墓地2箇所ある)ので花飾りも18束ほど作ります。
出来た花飾りをお墓と仏壇、庭に設えたお盆飾りだなに飾り付けます。
畑から取ってきた茄子と胡瓜、冥加で動物(牛、馬、鶏)を作り、庭の飾り棚の上にハスの葉を置き、その上に乗せます。
 盂蘭盆は8月13日夕方にほとけさまをお迎えするところから始まりす。
その時は米の粉で黄な粉団子を作り、仏壇と庭の盆飾りにお供えすると共にお墓の灯籠に火を灯し庭で迎え火を焚きます。
14日、15日と夕方になるとお墓の灯籠に火を灯します。
16日朝ほとけさまを送るため前日の夕方はまた団子を作り供えます。今度の団子は何も付けない素団子です。
16日6時ごろ石見川の堤防脇に仏壇と庭に飾っていた盆飾りを置き線香を焚き、見送ります。
18日はお寺で「施餓鬼」というお盆の行事があり檀家はお参りして先祖に感謝します。
 お盆はこのような行事がありますが一昨年までは父母の指示で動いていましたのでなんとなくやっていましたが昨年からは自ら動かなくてはならなくなったので今一これでいいのかどうか分かりません・・・。
 我が家には製粉機もあります。
数年前倉庫の整理をしていたら引出キャビネット大の重たいダンボール箱が目に留まった。母に聞いたところ製粉機との事。
今年、餅米が中途半端に余ったので白玉粉を作ろうと考えていた。
米粉製造機のことをすっかり忘れていたので製粉所を探していた時ふと我が家に機械があることを思い出した。
8月13日朝から白玉粉作りだ。本当の白玉粉はかやかし(水に浸してやわらかくする)てから作るらしいが時間が無いのでそのままやったので少し木目が粗くなった。
でも団子を茹でて黄粉をまぶしたり冷やしぜんざいで食べたら結構美味しかった。
参考:白玉粉=もち米100%、だんご粉=うるち米ともち米を配合した米粉、上新粉=うるち米だけの米粉
2008年8月15日(金) 「我が家の終戦記念日
私は4代目。
お寺の横に墓地を造成したのは三代目が戦死した時です。
昭和13年日中戦争の最中初年兵で山東省に上陸後すぐ敵の機関銃で頭部を撃たれて亡くなったそうです。
村ではまだ戦死者は少なく、この辺りでは一番の大きな墓碑です。2代目の長男(私の父は次男)として生まれ、二十歳で戦争に駆り出され演習もほとんど無い状態で実戦、早すぎる死は本人も残念だったと思います。
初代・二代の墓が横にあります。
お盆にはこうしてオミナエシ・ミソハギ・しきみ・小菊を飾りお墓参りをします。
そして静かに「もう戦争は決してしません」と祈ります。
2008年7月26日(土)「くもの巣・ワイン」
 早朝、庭に出てみるとユリの茎と葉を使って芸術的なくもの巣が出来ていた。これだけの作業を何日でやったのだろうか?まさか一晩では出来ないだろう。根気の要る仕事である。どう考えても私には出来ない。壊すのは可哀想なので当分そのままにしておいた。
 我が家は酒好きである。この時期、ビールもよいが冷やして飲むワインは最高だ。ということで近所の酒屋さんで買った「おたる」、生協に注文していた「北海道」、さいたま市から届いた「SASSELLO」「SAGRAMOSO」等が「買った」「貰った」「届いた」。美味しいワインを飲む楽しみが増えた。
高級ワインは記念の日を選んでコルクを抜こう。
2008年6月8日(日)「柿酢が出来た!」
 昨年11月、甘柿を使って柿酢作りに挑戦した。愛読書「現代農業」2007/11月号の記事を参考にして昨年豊作だった八王子?という甘柿の熟したものを使った。
漬物や梅干を漬ける小さなつぼ2つに放り込んだだけ、およそ6ヶ月経ったので出来具合を確かめた。
「酸っぱい、酢だ!出来ている!」こんなに簡単に出来るとは思わなかった。
市販の醸造酢と比べてみたが幾分甘くまろやかな飲み口?に仕上がった感じだ。
柿酢は体にも良いらしい。毎日飲めば元気ピンピン?自家消費する分には検査だとか免許だとかは関係ない。
まだ一回目のろ過をしただけ。これから1ヶ月はビンで寝かせておりを沈殿させるともっと透き通った色になると思う。
昨年はあんぽ柿も美味かったがこれから毎年あんぽ柿と柿酢作りが欠かせない。

壷に柿を入れて布で蓋をして半年ほど静かに寝かす

大きい壷のこんにゃく(酢酸菌が作った白い膜)

膜の厚さは約2センチ。酢の物にして食えるそうだ。

小さい方の壷はこんにゃくが薄い

左がこんにゃくの薄い方。色の薄いほうが少し甘い

左の2つは市販品。
2008年5月24日(土)「ホタテのバター焼き」
 帆立貝は今が旬。
先週土曜日外は雨。
ということで「男の料理」私のレパートリーのひとつ「ホタテのバター焼き」を夕食に作った。(といっても妻の助言が大部分あった)
家族4名で帆立貝4個とは少し寂しいので代わりにナスとしいたけを足した。
また、添え物はアスパラガスが良いようだが無いのでブロッコリーと人参にした。
ホタテは刺身用使い新鮮なホタテの味を損なわないよう軽く焼くところがコツだ。今回は1個150円の物。
ワインにも合い大変美味しかったです。盛り付け皿の使い方が反対かな??
2008年5月17日(土)「久しぶりの東京」
 東京在住の次男の結婚式のため4日程上京してきた。
 行きはサンライズ出雲シングルツインの個室で妻と途中合流した三男とワイングラスを傾けながら暫しノスタルジーに浸り、ほろ酔い気分で気持ちよく眠れた。
結婚式は南青山のChapelle des Angesで挙式、西麻布のフランス料理店Ohara et cieでの食事会。
正式な教会での結婚式は初めての経験だ(私が結婚するのではないが)。なぜか感激の涙?で賛美歌の歌詞が見ず歌えなかった。レストランもミシュランガイドに1つ星を獲得した所でこれまた本格的フランス料理も初めてで美味かった。
 その他、買い物ツアーは長男夫婦の案内で南船橋のIKEA、幕張のカルフール等・・・・思い切り普段買えないものを買いまくり。(私ではありません。妻が!)
私はせっかくの上京少しは歩き回ろうと、昨年さいたま市に出来た鉄道博物館(大宮区内の長男宅をねぐらにしたので)を三男の解説付き(本職)で見学、初めての都電荒川線乗車(早稲田−三ノ輪橋)を楽しみ、鬼子母神前で途中下車して付け麺の美味しい梅もとで昼飯を食い、上京時は必ず行くアキバでパソコンの動向を視察し、夜は新宿南口のSiAMで辛いがとても美味いタイ国料理を食べほぼ予定の行動を消化した。
 帰りは三男息子の計らいで「のぞみ号」のグリーン車で缶ビールをあおりながら焼き鳥弁当で昼食。3日間読んでいなかった新聞に目を通す。
心地よい疲労感ですぐに寝てしまった。4日間の休暇があっという間だった。

「Y&N」 幸せになってね!!

南青山ル・アンジェ教会(画像加工)

フランス料理美味かった

鉄道博物館内のステンドグラス

さいたま市大宮区にある鉄道博物館2階から撮影

サンライズ出雲のシングル・ツイン個室(画像加工)

三男が撮った都電荒川線の終点三ノ輪橋駅

IKEA,カルフール等の輸入雑貨買い捲り商品
2008年5月6日(日)「春の息吹」
 
久しぶりの昨日の雨が上がり、今日はとても良い天気だ。
春の息吹を感じるために近所の山へ山菜取りに行った。
 うす緑や薄黄色の新芽が芽吹き、鶯、キジ等の鳴き声を聞きながら散策する早朝の山は最高の贅沢だ。これが山里に生活する人間の特権。
我が家の裏山の筍は今年は栄えが悪いようだ。
2008年4月20日(日)「丹後の節句」
 
当地もやっと桜が満開になった。
玄関にはこの節気の行事である端午の節句の武者人形も鎮座してお客様を迎えています。
2008年4月1日(火)「男の料理」
 休日、稲作準備の合間を縫って春の山菜探し第2段だ。(1回目はふきのとう)石見川の河原にはうす緑の葉で日本刀の刃を向かい合わせたような形の葉っぱがたくさん芽を出している。これが野かんぞうだ。初夏にはオレンジ色のゆりのような花が咲く。1日で咲き終わる花だ。若葉は酢味噌和えが出来る。今回もぬた(酢味噌としめ鯖を混ぜた)を作った。久しぶりに「男の料理」だ。これを「あて」に熱燗でぐっといく。美味すぎでちょっと飲みすぎてしまった。もう2週間するとこごみが芽を出し始める。春の芽吹きは人間にも活力を与えてくれる植物がたくさんある。良い季節だ。
2008年3月27日(木)「桃の花」
 この辺りはひな祭りを旧暦で祝う。4/8がひな祭り(旧3/3)だ。その日はお釈迦様の花祭りの日でもある。
写真のように室内に飾った桃の花が開いた。
 
 殺伐とした通り魔的事件や暫定税率の空しい国会の攻防のニュースに憤りを感じながら今年も田の準備が始まろうとしている。
先週ビニールハウスを張った。今週は種籾の発芽準備に入り、苗箱(100箱)に培養土を入れて並べる。来週は種蒔きだ。
井出さらえの出夫役(共同で用水路の掃除をする)もある。
そして年度末を向かえ、2008年も1/4終わった。
2008年3月8日(土)「野鳥」
 今年は暖冬だという予報だったが大外れで山雪型の大雪だった。当地にある花見山スキー場はまだ200センチの積雪量だ。平年なら積雪0センチで閉鎖の時期なのに。我が家の田圃や畑はまだ一面雪である。やっと庭の雪が消えかけた所だ。
 今シーズンは野鳥も山に食べ物が少ないようで我が家の花水木の花芽はほとんど食べられてしまった。かわいそうなのでパーゴラの下に餌台を作り、正月飾りの残り物のゆずとパン屑を置いたら目ざとく見つけて食べにきた。姿からヒヨドリのようだ。
軒下の雪は2月28日の様子。

3月5日の朝の様子
2008年2月24日(日)「雪」
23日朝方から吹雪模様の「雪が降った」と言うより「雪が舞い上がった」、今日の夕方にかけて40センチほど積もった。
今回の雪は積もったのは風の当らないところで風のよく当たる所はほとんど積雪は無かった。それ程風が強かった。
我が家の玄関先はこのような状態(AM7:30)だった。今朝の新聞配達さんの足跡がかすかに見える。
2008年2月3日(日)「融雪装置」の効果
 
昨夜から低気圧の通過で湿った雪が5pほど積もった。事前に融雪装置を稼動させた(といっても自動で働くわけではなく手作業で水の出口に樋を繋ぐのだ)。
水量が少なく完全には融けないが雪かきをする必要は無い位に融けている。効果はあった。
2008年1月20日(日)融雪装置作成
 先日(18日)は大変良い天気だった。今年も一昨年のような極端な大雪は御免被りたい。今のところ暖冬のような感じだが・・・。
前々から考えていた融雪装置を作成すべく水道用パイプと接続部品等を買ってきた。
土曜日に以下のような装置を作った。パイプに穴を開け各接続部品を繋いで元を山から引いている水の出口に接続した。
日曜日の朝から小雪が降っており融雪装置の試験には持って来いの状態だ。水量が少なく通路全体の融雪とまでは行かなかったが効果は確認できたのでこのまま使うこととした。
普段は外しておき雪の降りそうな時に繋げばよい。ただし、気温が氷点下になったらどうなるか??であるが・・・。
費用は20mmのパイプ:780円×2本、接続部品数個520円 合計:約2000円

1月18日日の出時輝く一瞬
格子状の影は鳥よけのネット

1月18日朝窓から見る裏山の雪景色
青空が眩しい

玄関前にパイプで山水を誘引
奥の通路までは水不足でダメだった

右上の山水の出口を排水用パイプの出口へ
差し込み逆流させる
2008年元旦(火)

新年明けましておめでとうございます


皆様にとって今年も良い年でありますようお祈りします。

今年も[団塊世代の人生日記」をよろしくお願いします。
引続き魅力ある情報発信に努めるよう頑張ります。

年末寒波の影響で積雪のある元旦となりました。
昨年末も大変慌しい状態で家の回りの掃除・片付け、X'masケーキ作り、餅つき、しめ縄作り・飾り付け等々・・・。
お陰でまた、年賀状作りが年明けになってしまいました。

 右は金・銀の折り紙で折ったネズミです。

年賀状用の画像です。