我が家の出来事、行事    最上部が最新データー  
2009年の我が家の年中行事や季節の出来事等を綴ります。 2006年  2007年  2008年 2010年
 2009年12月24日「クリスマスイヴの過ごし方」
 今日は久しぶりに自分の為の休暇を取った。といっても今年中に私自身で処理しておかなければいけない保険の関係、地域の代表を務める事務処理等々あったので・・・。でもそれ以外に大きな目的は鳥取花回廊で開催中のクリスマスイルミネーションと北欧フェアを鑑賞することだ。昨日に続いて3時過ぎに出発。私は会員なのでフリーパス妻は2割引で500円少々。木製チェアに興味があり目当ての北欧フェアだったが数脚あっただけで少しがっかり。でもノルウェー エコーネス社製ストレスレスチェアの座り心地は最高、座った瞬間優しく体を包み込むように沈む。そして体を少し伸ばすと背もたれがゆっくり下がる。オットマン(足を乗せるもの)に足を乗せて目を閉じると直ぐ寝てしまいそうだ。値段は1脚(一人用)で「約30数万円?」聞かなきゃよかった。
 何十年ぶりか(いや初めてか?)の妻と2人でのクリスマスイブデートも良かったよ。何がって?「クリスマスイルミネーションの豪華さですよ。下の写真きれいでしょ。
   
 
 2009年12月23日「冬至の頃の暮らし方
 今日は天皇誕生日の休日。我が家は毎年恒例の餅つきの日です。今年は30Kg強のもち米を8臼丸餅で約900個作成しました。これでも今までより1/3減らしました・・・。
その後、マイカーをスタッドレスタイヤに交換してから同じ町内の古民家での「里山の暮らしとキャンドルアートの夜 冬至編」に参加してきました。
ここは町内でも木組みのすばらしい古民家で普段はお蕎麦屋さんです。(冬季は休業)。今日はGypsyさん主催の上記イベントに参加してきました。夕方4時集合で、子供達を含めて28名の参加者でした。先日の寒波で大雪になり雪遊びにはもってこいの状態でした。写真のような雪のキャンドルスタンドを作って腹を空かせた後、熱々のかぼちゃほうとうやいとこ煮(かぼちゃと小豆の煮物)ゆずの砂糖煮3種、頂きながら障子の外のキャンドルライトを眺めたり、囲炉裏で御餅を焼いて食べたり、わいわいがやがやと楽しい一時を過ごして来ました。
 
 
12月19日朝の我が家の庭の様子
 
門柱もクリスマスバージョン
 
玄関のニッチもクリスマスバージョン
 2009年12月13日「生涯学習まちづくりフォーラム」
 先月の講演会も良い話だったが今回も心に染みる感動的なお話を聞かせていただいた。
自ら癌と闘い、その闘病のさなか若年性アルツハイマーを発病した妻を11年間介護した萩市の陽(みなみと読むそうだ)さんの体験談「優しさの心って何?」だった。
最初ユーモアを交えて教育者として体験した子育てと教育のあり方。
時代が変わると俳句も解説が難しくなった等‥「朝顔につるべとられてもらい水」。
納得し、笑いながら聞いていた私の目から涙が伝いだしたのは陽さんの癌の治療で献身的な看病をしてくれていた妻が次第に様子がおかしくなって来たところからである。
「過度のストレスが原因かもしれない」と自分の病気が妻をこういう状態に陥れたとの呵責の念から無理心中も考えた。その時、童心に帰ってしまった妻がハミングする童謡を聴きわれに返り、妻と共に生きていこうと決めた。
途中、TV番組「たけしのアンビリーバブル」で放映されたビデオが流れ、夫婦や家族の絆、優しさの心で尽くす介護とはどういうことなのか?
自分自身が両親の介護をしているので身を置き換えてみた時、両親に対する申し訳なさ、優しく出来ないもどかしさ、妻に介護を押し付けているうしろめたさ・・・を痛感した。
自身の癌と闘い、乳児に帰った妻と共に歩み(介護)続けた陽さんの4000日は想像できない。
でも、ハーモニカと口笛が奥さんを和ませ、宮司であり教育者であった信念が支えたのだろう。
誰でも出来ることではないかもしれないが誰でも努力する必要はある。
今日から私も努力してみよう。家族のために・・・。

下画像の人形写真集「故郷からのおくりもの」は人形作家高橋まゆみさんが陽さんの「八重子のハミング」を読んで感動して創作された人形だそうだ。
童心に帰ってしまった妻の手を取り家へ帰るところで題は「いっしょに帰ろう」。この人形は本当に陽さんにそっくりだ。
今は白いあごひげがあるけど・・・。(萩の水戸黄門と呼ばれているらしい)
昔はアランドロンとよばれていたとか(あら〜、と言った時にはドロンと居なくなっているから)
 
 2009年11月14日「同和教育研究集会」
 穏やかな日和の中で「人権尊重の意識を高め、実践の輪を広げよう!」をテーマに開催された。
今年は例年とは少し内容が変わり中学生が大勢参加して意見発表や開放劇をやってくれた。いじめ体験や戦争体験聞き取りからの意見発表は素直でとても新鮮なものだった。また、彼らが悩み葛藤する心を開放劇ではつらつと演じており意義深いものを感じた。
会場も昨年に比べて大勢の参加者がありとても良かった。
 その後、榊原英子先生の「”気づき”ダウン症の息子が教えてくれた本当の幸せ」、村田静也先生の「しあわせってなあに・・・(障害から学んだこと)」について講演があった。
おふた方の身の上に起こった体験により本当のしあわせとは何か?について・・・語られた。
おふた方とも共通して感じたのは苦難を克服していく中で”幸せ”は「求める」のではなく「努力して掴み取る」のだというポジティブ思考だったと思う。
そしてその支えとなったのは音楽だったのだろう。
講演後半は人権コンサートとなり榊原先生(Eiko)の歌や村田先生のギターを中心にピアノ、コントラバス、ドラムのメンバーも加わりジャズの音楽会を楽しみました。
山々が錦の衣をまとう晩秋のこの時期、生の歌声と演奏でジャズを聞けるなんて久しぶりだ。多分7年前の境港ジャズフェステバルの時以来かな?
生演奏はいいねえ・・・。心が落ち着くよ、身も軽くなる、みんなが1つになれる。
来年も企画して欲しいよ!!(でも無理かな〜)
2009年11月03日「紅葉と初雪」
 数日前から天気予報で「強い寒波が来るので高い山は初雪となるでしょう」と繰り返し云っていた。
ご覧の様に当地は「高い山」に位置するようで朝起きてみると初雪どころか薄っすらと雪化粧していた。初霜も初氷もまだなのに初雪が数センチの積雪になってしまった。自然も当ての外れることを時々してくれる。でも、紅葉と雪の対比は絵になるかな??と思い休日だったけど7時過ぎに起きてカメラ担いで当地の景勝地「石霞渓」に行った。重たい雪なので日が当たると融けてしまいそうだ。
 今日は池田亀鑑先生の記念碑除幕式のイベントがあり出席した。我が母校(旧石見東小学校:2009/3/31廃校)の校庭脇に「学才にあらず閥派にあらずただ至誠にあり 池田亀鑑」という石碑がある。
一般的にはあまり知られていない方だけれど源氏物語の研究では第一人者としてその方面では有名な方だ。東京大学の教授をされていたが惜しくも60歳にしてご病気でお亡くなりになった(昭和31年)。説明用看板が古くなったので石作りに変える事となり今回寄付を募っての除幕式となったのである。昨夜の雪も朝には上がり、日が差す暖かな天気となって式典も無事終了した。 

我が家の前から
 
隣地の柿の木
旧石見東小学校校庭から
 旧石見東小学校
私が卒業した頃は木造の2階建て校舎だったが・・・。
周りの山々は変わらない。
石霞渓A
池田亀鑑先生の石碑除幕式 

石霞渓B

今回建立した石碑 

石霞渓C

昭和43年に建立 
 2009年10月17日「焼き米」
 
我が地方では「焼っ米:やっこめ」と呼ぶ。私が小学生のころは祖母や母がおやつ代わりに作って呉れていた。その味が忘れられない。今年は天候不順のため田んぼの水口(水の取り入れ口)辺りで青米が多く発生した。良い機会なので作ることにしたが作り方が分からない。検索したところ丁寧に教えてくれるサイトがあった。柿木あれこれ(お隣の県)様の焼き米作り方と同じ方法と茹でずに最初から炒る方法の2とおりで作った。最新式の精米機で籾殻を取ったら狐色の米粒が出てきた。
今HPを更新しながら試食(夜食)をしているが香ばしい香りとほのかに甘い歯ごたえのある米粒がはるか昔の懐かしい記憶を呼び覚ましてくれた。

1.数日間水に浸す(当地では「かやかす」と言う)

2.蒔きストーブと大なべで炒るor茹でた後で炒る

3.「もろぶた」に移して荒熱を取る

4.精米機で籾殻取り後、狐色で香ばしい香りです

試食:2とおり(左:牛乳と砂糖少々電子レンジ、右:熱湯と砂糖少々)

5分後食べたが少し芯があった。でも、遠い昔の懐かしい味がした。

牛乳は初メニューだったが結構いける。

サツマイモも掘って焼き芋にして、米を炒りながら頂きました

おまけ:5つ子の今年の栗(両側に2個づつ、真ん中に1個)
 2009年9月28日「カテーテルアブレーション治療その3」
 
腹が空いたが食事はだめとのことでお茶だけ飲んだ。病室のベットでも両足の付け根はガムテープのような絆創膏で腹のあたりからひざ上まで×印に止められた上に砂嚢で押さえられており動くこともままならない。左腕は点滴が刺さったままだ。後6時間はこのままとの事。1時間後に砂嚢を取ってくれたので少しだけ動けるようになった。腰と足がだるい。時間がえんえんと進まない。1時間経過・・・、2時間経過。まだ4時か・・・。気晴らしに妻が任天堂DSの常識テストを読んでくれた。でも、気持ちが入らない。やっと7時過ぎに先生が見えて両足の付け根部分を確認された。左足の付け根が少し腫れて内出血しているようだった。そのためまた左だけ圧迫されてしまった。右足は自由に動かせるようになったので気分的には楽になった。夕食が美味しかった。妻は8時過ぎに帰宅。
尿チューブがおちんちんに付いているのでトイレは寝たまま。明日朝には外せるとの事。数時間おきに血圧と体温検査あり。
9月10日(木)
 3時ごろから目が覚めてなかなか寝むれない。
朝食後の診察で再度圧迫した左足の固定と尿チューブが外された。点滴は夕方までとの事。歩いてトイレに行ったが左足の付け根に違和感を感じる。体調も元に戻りつつあったが時々微熱が出る。でも、歩けるようになっただけでも随分楽だ。
早ければ土曜日には退院できるとの事。
一日中本を読んで過ごした。今回は暇があるだろうと思い、かねてから読みたかった村上春樹さんの「1Q84」を買い込みBook1を入院時から読んでいた。最初は面白くなかったが中ほどから次第に面白くなってきたので電動ベッドを起したり寝させたり体がだるくなる度に姿勢を変えて読みふけった。夜遅くBook1完読。
9月11日(金)
 4人部屋の窓側なので立ち上がると中海方面が見える。外は良い天気だ。ベッドでじっとしていることがなんともつらい。明日は退院できるので今日はゆっくり読書と思い、Book2を買いに売店に行ったらないとの事。がっくり。今日は妻も来ないので買ってきてもらえないし・・・。
9月12日(土)
 朝9時予定どうり退院。特に注意することはワーファリン(血栓を防ぐための薬)対処だけ。納豆やクロレラ・青汁などのビタミンKの多く含まれるものは摂取しないことである。後は何も言われなかったので普通どおりでいいのかな??
3ヶ月後に受診する予定だがその時まで再発しない事を祈っている今日この頃・・・。
 夕方自宅で撮った左足の内出血の痕跡(ちょっとみっともない?)
 2009年9月16日「カテーテルアブレーション治療その2」
 鼻に酸素吸入チューブがセットされた。まず、造影剤を注入するとのこと。少し気分が悪くなったが直ぐに回復。また、胸から背中にかけて熱く感じた。
気持ちを落ち着かせるために私が時々深呼吸をすると「短い呼吸を続けて欲しい」との事。深呼吸で胸が動くとまずいらしい。
 直ぐに検査が始まった。再現するかどうか各部位に電気的ショックを与えているらしく数秒おきにぴくぴくと心臓の筋肉が動くと心拍機?のピッ、ピッ、ピッ、ピッという規則正しかった音がピピッ、ピピィ、−、ピィと不規則なリズムに変わる。そしてどのくらいの時間経過したのだろうか。先生が「まだ連続した症状が現れないので部位が特定できない」、「もう少し検査を継続する」と耳元で言われた。先生方がやり取りされている話は医療専門用語なので私にはさっぱり理解できない。そうこうしていると心拍機?の音がピッピッピッピッピッ小刻みな音に変わり、症状が再現された。自分でも症状が分かりほっとした。それからもう少し検査が続行された。
「何箇所かのホールを塞ぐ」との声が聞こえる。カテーテルを心臓の壁面に当てて何かをしているようだ。これで治療が終了したのかな?と淡い期待を持っていたら、「これから対象箇所を治療します」と言う声が聞こえた。「なんだー、まだまだ時間が掛かるのかあー」少し気落ち。
 体を動かせないので腰、両腕と太ももが痛くてだるい。でも、我慢するしかない。
 右足大腿静脈にもう1本カテーテルを入れるとの事。これで6本目。電気焼灼用のカテーテルかもしれない?。
まず、30秒間程度通電をするとの事。誰かの「3」、「2」、「1」、[ON」の合図で患部の焼灼が始まった。少し熱さを感じる。「10秒経過」、「20秒経過」、「25秒経過」、「30秒STOP」と声がする。場所を変えて再スタート。4回目の時、10秒ほどで熱さが痛みに変わりつつあった。その時「ストップ」との声がした。どうも焼灼するカテーテルの電極がずれた様だ。「怖いなあ〜」
次は60秒間継続との事。しかし、また10秒ほどでストップ。最終的に私の記憶では30秒の焼灼を6回実施、途中ストップが2回、だったように記憶。
 体が熱く感じてきたので少し熱が出てきたようだ。看護師さんに話したら団扇で扇いでくれた。「ありがとうございます」
 「治療は終わったのでこれから確認の検査をします」との事。
また、最初の検査のようなことを繰り返して再現しないかどうかを点検しているようだ。これもかなり長時間に感じたが一通り終わり問題が無いようで安心した。
カテーテルを抜き、止血のため穴の開いた血管を3人の先生が5分間程度強く抑えてくれた。ガーゼの上をガムテープのような大きな絆創膏で腹からおしりあたりまで止めた。その上に重石として砂嚢を乗せた。
 顔に掛けられていた布も無くなり今何時か聞いたら午後1時20分との事。「エッ!5時間も経ったの?」「辛い訳だ」「この治療は高齢者では体力が持たないから若いうちにやっておくべきだなと感じた」
1時30分に病室へ帰ったら妻が心配そうな顔で出迎えてくれた。12時半ごろ検査室から手術は無事に終わり術後検査中であるとの連絡が入っていた。
私は子供のころも含めて今回で5回も入院して骨折の治療や盲腸炎の手術をやった。家族には大変な心配をさせている。
この続きはまた後日
2009年9月14日「カテーテルアブレーション治療」
 広島で勤務していた10年ほど前、仕事中に急に心臓の鼓動が180回/分を超える程になりびっくりして近くの病院に駆け込んだ。診断結果は「発作性頻拍症」と言うことだった。点滴を受けながら心臓をリセットする薬を注入して回復した。
命にかかわるような重大な病気ではないらしいが薬では完治が難しい場合が多いとのこと。発症時は胸が圧迫されるような鈍い痛みと発熱・冷や汗、腕や体のだるさが続く。当面は様子を見ようと言うことだった。
発症原因は、生まれつき刺激伝導系に異常がある場合や、加齢による刺激伝導系の機能の低下。また、高血圧や喫煙、飲酒、精神的なストレスなど、心臓に負担をかけるさまざまな要因が複合的に合わさって不整脈を悪化させているとも言われている。

それ以来、数年前までは年間2〜3回程度の発症だったが57歳くらいから約2ヶ月に一回の発生頻度になってきた。その度に近くの病院にお世話になっており、特に休日の朝や夕食後等リラックスしている時に発症することが多く、病院の当直に内科の先生が居ない時は呼び出してもらう等迷惑を掛けていた。
何回かは2〜4時間で自然回復(おにぎりを食べた時、小便をした時、病院で待っていた時・・・)したこともあるが
大学病院で検査してもらったところ表題の治療をすることで約90%の確率で完治するとのこと。病院は大嫌いだがやむを得ないので今回入院して治療を受けた。

9月7日(月):入院、採血や心電図、心臓エコー等一通りの検査実施。発症しない限り体はぴんぴんしているので病院のベッドで寝ていても落ち着かない。

9月8日(火):下準備として陰部の除毛(事前に自宅で剃っていたので看護師の確認のみ)、足・首動脈の印付け、カテーテル手術のオリエンテーション等。

9月9日(水):8時30分手術着に着替えて検査室へ。
検査室は12畳程度の大きさで画面が12面?ある大きなモニターやライトがいくつもある照明機器。
レントゲンや透視装置らしきもの、心電図やエコーなどの電子機器、仕切りがガラス窓になっている監視室がある。
入室後、心電図用のコードを胸に接続。左手肘に点滴用の針を注射。
おちんちんに尿排出用のチューブを挿入された時は焼き火箸を突っ込まれたような痛みとお漏らししそうな尿意をずっーと感じた。
両足のつけ根と右頚静脈に局所麻酔注射を数本打たれた。その後直ぐ左足の大腿静脈に3本の管を刺される。最初の2本は激痛に近い痛さだった。
大腿動脈に1本挿入。左足よりは痛みが少なかった。右頚静脈にも1本挿入。どういう形で挿入されているかは分からない。
顔に布を掛けられて周りが見えない状態になった。体は仰向けでまったく動かせない。かろうじて頭だけ左右に少し動かせる。時間の経過も分からない。
手術の人員体制は声だけで判断すると監視室の人も含め5〜6人の先生と男性看護師、女性の看護師各1名?。
主治医の号令で左足つけ根からカテーテルが入っていく。横隔膜あたりからみぞおちへ静脈内を昇っていく感覚が微かに分かる。痛みはほとんど無いが気持ちが悪い。
カテーテルの直径は2ミリだそうだ。静脈の太さは約10ミリ。少しは血が通う余裕があるということか?
右足側と右の首からも入ったようだ。みぞおちの上辺りでもぞもぞする。
ところで検査室に入る10分前にたまたま発症していた。そのことを検査室に入室時先生に告げたら「それはいいタイミングだ」と言っておられたがカテーテルを入れる前に自然回復してしまった(残念)。前処置の痛みで心臓がショック受けて平常心を取り戻したのだろうか?

この病気は心臓を鼓動させる部位(洞結節)と中継する部位(房室結節)の間で別ルート(異常伝導路)が出来て電気回路がループとなり「堂々巡り」することにより発症するらしい。そのため治療の前に心臓のどのエリアでその現象が起こるのかを検査(マッピング)することが必要となる。
この続きはまた後日

 カテーテル
(国立循環器病センターから借用)
 2009年8月13日「迎え火」
 今夜はお盆の入である。
例年どおりオミナエシ、ミソハギ、シキミを数本ずつ束ねてお盆飾りを作る。また、写真のようにきゅうり、なす、ミョウガに足をつけて馬、牛、鶏を作る。それらを庭に用意した台に飾る。夕方墓に行き灯篭にロウソクを灯す。
団子をお供えして肥松を焚いてご先祖様のお越しを迎え火でお待ちする。我が家で引き継がれている行事だ。これ以外にもたくさんお飾りやお供えをする地域がある。我が家は意外と質素かも知れない。
お盆飾りの花は仏壇1対、庭用2対、お墓に3対、地仏様に4対用意するため早朝から時間をかけて準備するのである。
今日は一日雨が降ったりやんだりだった。合羽を着ての作業は蒸し暑くて疲れる〜。
   
 2009年6月19日「三男の転勤」
 広島で勤務していた三男が6月1日付けで東京に転勤することになり、異動前挨拶がてらつかの間の帰省をした。「かわいい子には旅をさせ・・・」なんてフレーズがあるが親としては遠くへ旅立つので少し寂しい気もする。
でも、本人が望んだ職場なので拍手して送り出した。そういう私も40歳過ぎてからだったが東京に転勤となり家族共々6年間大変良い経験を積んだ。私の親もこんな気持ちだったのだろう。
 まさか、息子3人とも東京暮らしをするとは思ってもいなかったが過去東京(住いは柏市)での暮らしを知っているので臆することなく仕事や生活に打ち込んで行くだろうと信じている。そして成長して欲しい。頑張れ息子達よ!!
 2009年5月3日(日)「液晶TV購入
  3月下旬のこと。8年前購入したSONYのTVが同心円状に虹色になり壊れてしまった。地上アナログ終了も近づきつつあるので液晶TVを物色。32インチ(リビングボードに入る寸法)、液晶、フルハイビジョンという条件で探したらシャープ製又はパナソニック製となった。無難なところでパナソニックの4月中旬新発売を購入した。しかし、壊れたはずのSONYも直っているではないか?映る物を廃棄するには忍びないので当分長屋に鎮座している。28インチのTVだがなんと重たいことか。
それに比べ液晶TVの軽いこと。地デジ画面の綺麗なこと。贅沢やなあ〜。
 
 2009年5月2日(土)「春の味わい2
  先月21日のこと。近所の方々から戴いた木の芽や近くからとってきた春の新芽を天ぷらにして食べました。
田舎で生活している喜びと季節が味わえる良い時期です。
時計周りでコシアブラ、タラ、うど、柿、もみじ、ユキノシタ、たんぽぽ、山椒、からすのえんどう、真ん中はコゴミ
   
2009年4月19日(日)「100000Km走破」
  先日のこと。我が愛車「通称:トム君」(シボレークルーズ)の積算メータが100000Kmの大台に乗ったので記念写真を撮った。通勤で毎日往復100Km走るので4年4ヶ月で大台に乗った。一度お釜を掘られたがそれ以外事故・故障・違反もなくしっかり走ってくれている。
 
 
2009年3月25日(水)「地域振興券」 
 当町内においても例の定額給付金の関連で地域振興券が発行された。
1万円で2000円のプレミアが付く。当町に居住する住民1名に対し2万円を限度として発行された。
当然我が家も妻が数万円交換したが2〜30分で完売したそうだ。
その翌日はなごり雪が降り白く雪化粧した。出窓に飾ってあるお雛様も雪化粧を楽しんでおられました。
 
 2009年3月8日(日)「春を味わう」
 もう3月・・・。HPの題材がないなあ〜。
と思いつつ、毎週土・日は燻製作りや花木、果樹の剪定等に忙しく動き回っている。3月に入って2回数センチほど雪が降った。
それでも暖かい冬だった。今日は妻がふきのとうと菜の花をトッピングしたたらこスパゲティーを作ってくれた。ほのかな苦味と独特の香り、色合いが春を感じさせてくれた。
我が家の庭の木に住み着いている野鳥は警戒心が強いがおいしい物にも目がないようだ。先日もりんごのかけらを入れておいたらすぐに飛んできてきれいに食べて行った。
 2009年2月22日(日)「野鳥」
 先日植木鉢にキウイを入れていたら野鳥がついばみに来た。餌台を作って野鳥を寄せているが里に下りている数が少ないようだ。山の雪が少ないのでえさが豊富にあるのだろうか?
 2月に入っても雪が降らない。先日も数センチ降ったがすぐに消えた。このまま普通に春を迎えるのだろうか?それとも寒い春、冷夏になるのだろうか?
農業を営んでいると気候の変調はとても気になる。冬はやはり適度の雪と寒さが必要であり、それでこそ暖かな春が待ち遠しいのである。
 
 2009年2月11日(水) 「燻製作りその3」
 燻製器を作成して休日毎に新しい食材を試している。まだまだ温度の管理や塩加減、薫煙時間などがわからず失敗ばかりだが結構面白い。温度が高すぎたり時間をかけ過ぎたりして硬くなったものでも噛み砕いていくうちに味わいが出てくる。
ほとんどが酒の肴だ。7日の土曜日は我が家の定番ワインの「おたる」のロゼを飲みながらスモークチーズやウインナーをつまむ。
8日の日曜日はヤリイカとアジを一夜干しした後燻製をした。これまた酒がどんどん進む。メタボ対策中の身としては悩む趣味が出来てしまった。
11日の休日はこんにゃくと豆腐を試した。月曜日、NHKの昼の生番組「ふるさと一番」で伝統 いぶり豆腐(岐阜県郡上市)を見たのでやってみたのである。
結果は豆腐とは思えない食べ物になった。チーズのような食感と味を付けていないのであっさりとして淡白な味。しょうが醤油で食ったがしょうがの風味が勝り良くない。何も付けず食べるほうが燻製の香りがしていい感じ。こんにゃくは塩気が少し強かった。
   
高温過ぎて失敗作
(たまご、ちくわ、さつま揚げ、ウインナー)
 
妻は薪ストーブでご飯を炊きました。
電気炊飯器よりも格別に美味い。
 
 一夜干ししたヤリイカとアジを燻製にした。

こんにゃくは茹でた後、味付けしたもの、
木綿豆腐は1晩乾燥させただけ 
 2009年2月01日(日) 「春の予感」
 今年は杉花粉が多そうだ。当地はここ数週間暖冬気味のため、我が家の畑のほとりの杉の木もごらんのとおり大量の花を準備しておりすでに飛散し始めている。この様子を見ると花粉症でない私でも近寄りたくない気持ちになる。花粉症の皆様マスクとゴーグルをご準備してください。
 雪がほとんど消えたので線路脇の土手を探したらふきのとうが出ていた。明日はてんぷらにして春の香りを味わおう。
先日試作したイノシシ肉の燻製でカリカリベーコンと野菜炒めを作った。脂身が多い部位だったが豚とは違った濃厚な味わいでワインの肴に合い美味かった。
   
 2009年2月01日(日) 「燻製器改良再度試運転」
 1月18日の試運転では屋根・側面の隙間から煙漏れが多く発生したのでその修繕をした。屋根は36mm厚のJパネルとほぞが付いた床材の切れ端を使った。
側面の隙間はシリコンの充填材を詰めた。再度の試運転はイノシシのばら肉のベーコン、モモ肉のビーフジャーキー作り。1週間ほど下ごしらえをして約2時間の薫煙。温薫処理のためあまり温度は上げる必要はないが試験的に上げたら90℃まで上がった。しかし、コンロを出し入れする扉が熱で反ってしまった。これまた作り直しだ。ベーコンは少し薄塩だが良い感じに色付き味も濃厚だ。色々な料理に使えそう。モモ肉のビーフジャーキーは塩出しがアンバランスだったのか一部はちょっと塩辛い。また、薫煙時間をかけ過ぎたのか硬くなった。少し時間を置いて様子を見たい。燻製も奥が深くてのめり込みそうだ・・・。
 
下ごしらえ完了
 
燻製終了

モモ肉のビーフジャーキー?
 内観  概観
熱で反り返った戸板
2009年1月25日(日) 「男の料理:松葉カニ丼、屋根の雪」
 先日の日本海新聞に若松葉ガニの記事があった。松葉ガニは正月明けからは安くなってはいるがそれでも1枚4〜5千円はする。それに比べ若松葉ガニ(脱皮してすぐの松葉ガニで脱皮のためエネルギーを使い身が少ない)は1枚500円程度で買い易い。
記事の中に中華風カニ丼にすると「コトバを失うウマサなんである」なんて書いてあるものだから、金曜日の仕事帰りに2枚仕入れてきた。2枚で996円也。
ごま油にニンニク、長ネギ、ショウガのみじん切りと唐辛子を少々で軽く炒める。強火にして適当な大きさに切り刻んだカニを放り込み酒を振りかけて蓋をする。5分ほどで火が通ったら醤油とみりん少々加えて加熱して最後に小松菜を加えてひと煮立てる。と記事に書いてあるとおりにしたが分量が明記されていないので大よそでエイ!ヤア!である。まあ、これが男の料理だ。
 炊き立てのコシヒカリをどんぶりに入れ、その上に殻のついたカニの脚と小松菜をたっぷり載せる。熱々の煮汁を注ぐ。口に入れる。「ううううう〜〜。ぐぐぐぐ・・・・。」コトバを失ってしまった。カニの旨味とニンニク、ショウガ等の香辛料がマッチして大変美味かった。
右の画像は屋根からの雪ずりで出来た出来損ないのロールケーキのような形の雪。
2009年1月18日(日) 「燻製器試運転、巣箱設置」
 先週から延べ休日3日掛けて作成した燻製器が完成。杉板で作ったので外観は焼き杉風にした。
上部に温度調整用の通気口、温度計を取り付け、その下は燻製材料の出し入れ口、一番下にウッドチップや燃料の取入れ口作った。
早速試運転だ。
試運転のためには「食材の下ごしらえが大切だ」ということで数日前に燻製の定番調味料であるピックル液とソミール液、ハーブオイルをまず作成。
 手始めは比較的簡単に出来そうなささ身、砂ずり、塩鮭、貝ばしらの燻製に挑戦。それぞれ下ごしらえを前日から実施。味をしっかり染み込ませておいた。
ウッドチップは「さくら」を使用。熱源は焼肉用の四角い七輪。
 試運転開始し10分ほど経った時、板の隙間から煙が漏れ始めたためとりあえずガムテープで目張りをした。やはり、素人大工のため隙間が多いようだ。後で目止め材を充填しないと・・・。
熱燻でささ身と塩鮭、砂ずりを作るつもりだったが温度が70度以上にならない。仕方なしに2時間ほど掛けて温燻で対応。熱源の竹炭の量が足らないのかな??
ささ身と砂ずり、塩鮭は今日の夕食に間に合った。
 ワインを片手にささ身と砂ずりの燻製を味わった。ささ身は下ごしらえが上手くいったようで塩加減も良かった。砂ずりは下味の染み込みが少し足らないようだ。
今回の反省を元に次回はもう少し上手くやりたいものだ。

 妻が作った巣箱も完成した。
今日は雨模様で雪も一休み。2個は納屋の近くの銀杏の木とスウメの気木に取り付け、もう1つは自宅のパーゴラの下に取り付けた。
さあ、小鳥さんたちは住処にしてくれるでしょうか?

ピックル液

ソミール液

ハーブオイル

熱源の七輪

ローズマリーとキビ砂糖を少々入れた桜のチップ

棚は2段、
最下段は油等が垂れた場合の受け皿

右側

正面

試作品のささ身と砂ずり

巣箱3個

パーゴラ下へ1個

す梅の木へ1個

銀杏の木へ1個

納屋の窓から銀杏の木を望む
ここから野鳥観察出来ますよ
2009年1月12日(月) 「夫婦で日曜大工
 昨年末イノシシの肉を頂いたので燻製にしてみたいと思い、納屋の造作を中断して燻製器作成に取りかかった。インターネットで木製手作り燻製器を探し色々検討して、2日がかりでほぼ完成。
材料は新築時の端材を廃棄せずに保存している物を利活用した。今回は厚さ36mmの杉の床板を使用。
大きさは高さ約1100mm、幅約500mm、奥行き約450mmである。側盤が厚いので少し重いのが難点だ。また、煙が漏れないように機密性を高める点に苦労した。
写真は屋根、扉、底部分が未完成。次週の土日で完成させて試験してみるつもりだ。
 妻は「納屋から小鳥の観賞をしたい」との事で小鳥をたくさん呼び寄せるため巣箱作りをしました。
慣れない手つきで板を釘止めしたり巣箱の穴あけをしたり・・・。大小3個出来ました。
来週あたり天気が良ければ近くの木に取りつけよう。
 外はこの冬一番の寒さで吹雪だが、リフォーム中の納屋の掛け出し部分にストーブを置き温まりながら、夫婦での日曜大工は時間の経つのを忘れさせてしまう。
2009年1月3日(土) 「銘酒の味わい」
 昨年暮れに知人から頂いた栗焼酎「ダバダ火振」を大晦日、生純米酒「無手無冠(むてむか)」を正月のお神酒代わりに味わった。高知県の四万十町の株式会社無手無冠さんの製造だ。ダバダ火振は栗のまろやかな香りとすっきりとした呑み口でオンザロックに合う。一口飲んでファンになった。
また、無手無冠(むてむか)は生酒の特徴である麹くささが少なく、いくら飲んでも飽きない味わい深い生酒だ。お神酒は少しだけ飲むのが決まりだが今回はとことん飲んだ。(生なので早く飲まないと・・・)息子達も帰省中なので良い酒を楽しく飲むことが出来た。
そうそう、もう一本はベルギー製の「デュベル」というビールである。アルコール分が8.5%と高い割りにキツイ感じは無く、地ビールの高級品と言う感じの香りと爽やかな味わいだ。「世界一魔性を秘めたビール」と称されている。
正月から美味しい酒が飲めて今年はいい年かも・・・。しかし、メタボの警告もあり厳しい判断を求められてもいるけど・・・。
2009年元旦(木)「お正月」
 謹賀新年

昨年はMyHPをご愛顧いただきましてありがとうございました。
今年も「名誉ある団塊世代」の名に恥じないようしっかり情報を掲載していきますので引き続きご覧頂きますようよろしくお願いします。
皆様にとって今年も良い年でありますようお祈りします。

昨年末も大変慌しい状態で家の一部造作、納屋のリフォーム、家周り掃除・片付け、お正月準備の餅つき・しめ縄作り・飾り付け等など・・・。
そのため、今年も年賀状作りが越年(除夜の鐘を聞きながら1月1日の夕方まで)となりました。