悠々旅行記 |
ノルディックウォーキング等(2015-2016) 悠々旅行記Top |
2016/11/23 「ロゲイニングin石見」 今日はウォーキング(走ってもよい)の競技会ロゲイニングというレースに参加しました。 地元石見地内のコースなのでチェックポイントはよく分かっていますがなにせ20Km以上ある行程の中から3時間以内で、高ポイントのルートを選んでコースを決めてスタートします。 |
|
スタート前のミーティング風景です。 |
最初のポイントはすぐ近くの愛宕山。直ぐ上がってパンチングしてから裏の農道へ 回り次へ。第2ポイントは十一面観音立像(県指定保護文化財)を祭っている竜泉寺 です。参道の道も分かっているので一目散です。ポイントは10点 |
先行する2グループを追い抜いて行きます。 |
第三ポイントは神戸上の千谷の六地蔵さんです。ポイント数20点 |
第4ポイントは我が母校旧石見東小学校の名残となっている小庭にある池田亀鑑文学碑。 校門の坂を上がり校庭(今は太陽光パネルばかり)に入る手前にあります。 「学閥にあらず、閥派にあらず、ただ至誠にあるのみ」の文字はよく覚えています。ポイント20点 |
チェックポイントの印をロゲイニングではコントロールと呼ぶそうです。 次の第5ポイントは福成神社です。 東ノ原の坂を下りますと福成神社の鳥居が有りますが境内まで登るのかと思いきや 道路脇にコントロールが有りました。 |
県道から町道へ入り、道を間違えないよう地図とにらめっこしながら進む。 |
第6ポイントは行ったことの無い荒神社ですが、道が枝分かれしているので迷います。 下代集落から町道へ入った約1km先らしい。 |
縮尺20,000分の1の地理院の地図が便りです。 コンパスも持ってきていますが地図が小さすぎて使えません。 地図上の民家の印を頼りにやっと探し当てました。ポイント30点 |
第7ポイントの曹洞宗珠福寺を目指して来た道を戻ります。 大倉山を正面に眺めて、まだまだすいすいと足取りは軽い・・・。 |
珠福寺は門坂を上がった寺の前にコントロールが有りました。ポイント数20点。 ここから第8ポイントの日南邑へはどのルートが近道か? 地図上では3,4コース有ります。ままよ・・・農道回りが早そう(通った事は無い)です。 |
いやぁ〜、一か所泥だらけの道が有りましたがやはり近道でした。 ここが今回のコースの最標高点ですので登り坂のキツイ事・・・。 トイレも兼ねて小休止。 ここから第9ポイントの田邊長者の墓へ向かいます。 今春スノーシューハイクした時、山道をほぼ直線コースで向かいイノシシ柵に 阻まれて立ち往生した苦い経験があるので順当に県道へ出て向かいます。 |
日南邑から1.5Km程かな? この辺りを佐貫谷と言い、1639年に備後国東城から神福妙見山城主として移った 田邊美作守の孫2人が花口に移り兄が分家して佐貫谷へ居を構え、たたらを足掛 かりに豪農へと繁栄したようです。当時は花口やこの佐貫谷辺りが賑やかな地域 だったようです。 今回はコースに選びませんでしたが下石見市場の古都源八の墓である古都家も 出雲から印賀へ移りたたらで財をなし下石見へ移住してきたようです。 (ぐるっと大倉花水木マップより)ポイント数30点 |
第10ポイントは県道沿いにあるハンノキ沼沢林です。田邊長者の墓から約300m程です。 ここは6haほどの湿地に自生するカバの木(ハンノキ)で西日本でも最大級です。 (県の天然記念物)湿地や沼に生息する樹木で昔は木炭の材料として重宝されていました。 私も冬場はスノーシューで歩いたことが数回あります。ポイント数30点。 ここで時計を見ると11時45分です。 ここからゴールの石見振興センターまで約4Kmあります。 妻ががぜんハッスルして早足になりました。 |
ほとんど下り道だったので4Kmを30分程で歩きました。 8分程余裕が出来たので、石見センターへ向かわずもう一つ最後に大石見神社 へ向かいました。ポイント数10点。 |
足取りも重く12時28分にゴールでした。間に合って良かったです。 合計得点240点(600点満点)でした。 走らなかったのでこれが限度でしょうか? 同じ男女混合クラスの若者チーム(米子市)に10点差で1位を逃しました。 このチームは私たちとほぼ同じ行程でしたが最後に上石見駅前の福重寺(10点) も廻ったそうでその差でした。 シシ汁を3杯もいただきとても美味しかったし心地よい疲労感も有り素晴らしい イベントでした。 |
2015年5月24日(日)「花口歴史ウォーク」 石見まちづくり協議会主催の花口歴史ウォークに参加しました。 良い天気の中、三本松グラウンドゴルフ場から出発。開拓者足跡を辿ります。先ずは神戸上の田邊長者墓地です。寛永16年(1640年)花口地区に入ったとの事。 2Km程歩いて「新左の大橋」という10m近い平たい大石。新左という力持ちが一人で橋として渡したとの言い伝え。 旧石見東小学校花口分校後の裏山にある清国廃寺跡と谷田貝家墓地(寛永年間に出雲から移住)や花口宝篋印塔(15世紀末頃の作)等を見学しました。 立派な墓石を見てこれらの人たちが先人となりこの地域を開拓してこられたんだなと感じました。 7kmの行程でしたが久しぶりに歩いたのでちょっと疲れました。たくさんの史跡や歴史的な遺構あり驚かされました。 昔はこの地域は郡役所のある黒坂からも近く、盆地の為田畑も拓き易かったようです。 |
|
2016年4月9日(土)「大倉山西側登山」 日野軍春の陣「日野軍5山」の一つ大倉山の西側からの試験登山に同行しました。 石見地区は大倉山のカルデラに位置して道路を歩くとぐるっと1周約20Kmあります。 形は大山に似ていて今回登るルートは大山でいえば下宝珠山から元谷に入りユートピアから剣が峰へ向かう逆縦走的な感じです。 ●旧石見西小学校横の林道から2Km奥まで軽トラックで入ります。荒れた林道はクッションの悪い軽トラでは大変乗り心地が悪いです。 ●終点の広場からヒノキ林の急坂を登攀、途中の斜面は滑りやすく谷に落ちたらちょっとヤバいかもと思われるところも数か所有ります。 ●途中には小さな滝もたくさんあります。また、切り立った崖もありここが噴火口の跡だった事が伺えます。 ●谷沿いから尾根伝いの道になったところでシカの糞と思われるものがたくさんありました。 ●「大倉下の岩場」と呼ばれる岩石場を過ぎて少し登ると、枯れた笹の軸が広がる少し開けたコル部に着きました。 其処ではシカの角を見つけました。よく見ると毛らしき白い物も沢山落ちており、ここが鹿の相撲場のようでした。 四方八方に獣道もあります。こんなところに鹿の遊び場が有るとは驚きです。 次第に我が地域も鹿の侵入被害が出てくるのでしょうか? ●ここから大倉山三角点はすぐそこです。尾根沿いに30分程で山頂でした。林道終点からゆっくり登って約2.5時間でしょうか。 ●昨年は旧石見東小学校から登っていますが西側からの方がバリエーションが豊富で面白いです。 ただ、危険個所は格段に多く中級者以上の力量が要るようです。復路も同じ道を1時間で帰りました。 ●藪こきが多いですが整備すれば楽しいコースだと思います。 |
|