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Part3 アユタヤ観光 1/28 (火)

朝から通勤者を目当ての屋台

高速道路は3車線以上あり広く、130Km/h以上でぶっ飛ばしていきました。
  今日はアユタヤ観光です。
当初は鉄道で行く予定でしたが出発が遅れたので弟が使っている自家用車で向かいました。
バンコク市内は渋滞が激しく、高速道路に乗るまでに1時間以上掛かりました。。

 
アユタヤ近郊のバン・パイン宮殿に寄りました。ここはアユタヤ王朝26代プラサート・トン王によって1623年に建てれた離宮だそうです。
現在は王族の別荘で迎賓館ともなっています。
とても美しい庭園で中国様式やルネッサンス建築など多彩な建物で構成されておりタイ国とは思えないようです。一見の価値がありました。

暑いので水分補給をします。ほの甘く日本では味わえないものです。

タイ国はほとんどトヨタ車です。
 
アユタヤ近くの水田はもう稲が育っていました

アユタヤ市内に入り、昼食の出来そうな所を探しましたが良いところが見つかりません。
バン・パイン宮殿からアユタヤまでは15分くらいです。途中、山田長正で有名な日本人町跡がありましたが通過です。
アユタヤは14世紀から18世紀ごろの仏教遺跡が残るタイの古都です。遺跡が点在しているので徒歩では廻りきれません。
とりあえず車で半周して食事どころを探しましたが無し。食事は後回しで西側の遺跡から見ていくことにしました。

ガジュマルジュの下に屋台がありましたがとても美味そうとは思えませんでした

根っこのような茎から丸い物が出来ており、エキゾチックな妖しい花が咲いています。

涅槃像の背後にそびえクメール様式の仏塔 管理が悪く荒れています

きれいそうな水に見えますがゴミもありどぶ川に近い
ワット・ロカヤ・スターには涅槃仏があります。
昔は寺院の中に納まっていたのでしょうが今は露天で28mもの巨体を堂々と横たえています。

屋台でアイスクリームを売っていたおばちゃんに「ワット・ロカヤ・スターへは車が入るか?」と聞いたら「ダメよ!歩いて行きな」との事。
近くに車を停めて300m程歩いていく。行った先には駐車場もある。
「なんだ、入れるじゃないか!」あのおばちゃんまたそこに戻ってなにか買わせようとしたのかな?
汚いどぶ川の向こうにも仏塔が見えました。そこにも廃墟の中に大きな座仏が2体ありました。
穏やかに微笑んでいるような仏様と少し睨んでいる様な仏様。

ワット・プラ・シー・サンペットの王の遺骨が納められた3基の仏塔

1767年のビルマ軍侵攻で崩壊
ウィハーン・プラ・モンコン・ボビット礼拝堂 ここは整備されていました。

アユタヤ朝時代の復元住居
ワット・プラ・シー・サンペットはアユタヤ朝の中期の広大な遺跡群があります。
アユタヤ王朝の3人の王の遺骨が納められている3基の仏塔はスリランカ様式と言われ精悍な外観は見事です
その他はほとんど破壊されておりレンガで組まれた柱や壁が当時の繁栄を物語っています。
  
ワット・マハタートの遺跡も広大な敷地内に廃墟となっています。
敷地の中央には高さ44mの黄金の仏塔があったといわれています。
ビルマ軍の侵攻で破壊され、壊れた仏塔や壁、頭部のない仏像群が寂しく並んでいます。
切り落とされた仏像の頭部が菩提樹の木の中に飲み込まれた姿を見ると人間の愚かさと自然の優しさを感じます。
敷地内にはクメール様式とスリランカ様式が混在した仏塔がたくさん見られます。
  
   
   
   
   
ワット・ラチャブラナはワット・マハタートの隣にあります。
1424年に建造されたクメール様式の寺院。
ここもほとんど破壊されていますが高い仏塔の中腹にある入口から入る狭い地下室には、
タイ最古といわれる壁画が金色と朱色で鮮やかに描かれていました。これは驚きでした。
しかし、壁画は管理が悪いのか傷んでおりこのままでは世界遺産としての価値が無くなるのではと危惧されます。
  
 
他の寺院と違い大部分が修復され、僧侶も居り、参拝者も大勢いました。

大仏塔を囲む回廊には袈裟をまとったそれぞれ顔かたちの違う仏像が並んでいます 
 
大仏塔の裏側にはこのような形での仏像もあります
最後に訪れたワット・ヤイ・チャイ・モンコンはアユタヤを象徴する仏教寺院遺跡で1357年の建立だそうです。
ここは再建されており黄金色に輝く本尊の釈迦仏
が本堂に収められています。
高さ72mのスリランカ様式の大仏塔は1592年にビルマ支配からの開放を祝って建造された。

アユタヤは街中が遺跡でした。今回は車が有ったので暑い中でも何とか回れましたが昼食もとらずによくも見たものです。
17時ごろモンコンを出たところにある食堂屋で「なにか食うものは有るか」と訪ねたら「この時間では何も無い」とのこと。
仕方ないので缶ビールを飲んで帰路に着きました。  

タイ語はまったく分かりません。英語があれば何とかなりますが・・・ 
 
空芯菜の炒め物

スズキ 
 
ふかひれ

肉盛り合わせ 
 
タイスキ

トム・カー・ガイ 

飲んだくれの末弟が次兄と握手での力比べ中(若いころは良くやりました) 
タイ語はまったく分かりません。
公共的な場所では表示も英語標記なので何とかなりますがそれ以外はちんぷんかんぷんです。
タイの人々も
 観光客と接触の無い人とはまったく話しになりません。
今日の夕食はタイスキをメインにその他たくさんでした。高級なものをたくさん頼み過ぎたのか、飲み代入れて4人で6000Bでした。ちょっと高い!
それを末弟が支払ってくれたので申し訳ないです。ご馳走さんでした。
しかし、タイ国のレストランでは大勢のウエイターやウエイトレスが給仕してくれます。料理準備担当、ビールやウイスキーの給仕担当、片付け担当のような分担でしょうか?
入れ替わり立ち代り色々やってくれます。
後で聞いた話ではタイ人は一般的にマルチ的な働き方(考え方)が苦手だそうです。
なのであれこれ同時作業が出来ないので担当を分けて仕事しているようです。