介護奮戦記    最上部が最新データー  
私と妻による両親の悪戦苦闘の介護日記を綴ります。
2017/6/4 「交流会」
  あかねの郷の入居者・家族・職員との交流会でした。
みんなで歌ったり、演奏を聞いたり、下手なマジックをしたり(私が)、ダンスを観たりして2時間程楽しい一時を過ごしました。
2017/3/26 「家族会研修」 
 あかねの郷家族会では総会後の研修会で「看取りケア」と題して日南病院の
M先生にコメントを頂き、施設内での看取りの発表や看取ったご家族の意見など
を話し合いました。
これから訪れるであろうその時の為に私たち家族も心の準備として参考になりま
した。
 
2017/2/23 「寄せ植えイベント」 
 あかねの郷家族会の活動で草花の寄せ植えをしました。入居者の皆さんにもご覧いただいてきれいな寄せ植えが出来ました。
 

2016/5/10〜9/29 「あかねの郷」

5/10 毎年園芸福祉活動に対して感謝状を頂いています。
    贈呈式の後、母をドライブに連れて行き4月22日にオープンした道の駅「にちなん日野川の郷」を案内しました。
6/5  恒例の交流会です。銭太鼓や日本舞踊、演奏など多彩な催しがあり入居者の方々と家族が賑やかに楽しみました。  
   
   
   
2016/09/29  「敬老祝賀会」

 今年、母は数え年で88歳の米寿です。
 自宅ではお祝いが出来なかったですがあかねの郷でしっかり祝っていただき
ました。
式の後は会食も用意していただき親子で楽しい一時を過ごしました。
 
   
2016/2/18(木)「ボランティア障子貼り&布切れ作り」 
  あかねの郷の家族会ボランティアで障子貼り&布切れ作りでした。
各居室の障子は車椅子が当たったり、遊びで穴を開けられる方もいる?のでよく破れるようです。
また、布切れは多用途に利用できてたくさん必要です。
家族の方や福祉団体の方、施設職員など大勢の皆様にご協力いただきありがとうございました。
   
2015/9/24(木)「敬老祝賀式」 
  午前中はあかねの郷の敬老祝賀式典でした。
100歳以上、白寿、米寿の方11名と共に約100名の入居者でお祝いがありました。
私も家族会会長としてお祝いのご挨拶をしました。
ユニット毎に歌を歌ったりお話をしたりしながら昼食会もあり私は北中のユニットでしたが自宅隣のおばさんが入居しておられお話も弾みました。
   
8月1日(土) 「あかねの郷 夏祭り」  
 恒例の夏祭りです。
今年から30分早めて18時スタート。
連日猛暑の中ですが夕方は少し涼しくなってきました。
入居者の皆さんとご家族、職員の皆さんとボランテイア方々大勢で賑やかな一時でした。
 私たち家族会も飲み物やプリンヨーグルト等の夜店を出して盛り上げに一役買いました。
また、最後の打ち上げ花火も家族会の実施です。
 
2015年6月7日(日)「交流会」
 あかねの郷で交流会が開かれました。昨年までは運動会でしたが入居者の超高齢化や介護度が上がった為参加者が減ったため止む無く、ご家族の皆さんに来てもらい入居者と一緒に見て楽しんでいただこうと言う趣旨です。
多くの皆さんのボランティアによる出し物や職員の皆さんの美味しい食べ物などで大いに盛り上がりました。
私も一発芸でお茶を濁しましたけど・・・。    
       
2014年11月26日(水)「障子貼り」 

 あかねの郷家族会のボランティア活動で今回は入居者の居室の障子貼り替えをしました。
家族会と職員等で10数名でした。
毎年やっているので次第に学習効果が出てきて今年はテーブルの上で作業出来ました。
腰や足が痛くならないし作業の能率もアップしたように思います。
午前中に古障子紙を剥いでいただいていたので、30数枚の大きな障子を2時間足らずで貼り終えました。
参加していただいた皆様ありがとうございました。
今度は2月ごろ残りの居室の貼り替えを予定しています。
 
  2014年10月15日(水)「遠足」
 
あかねの郷の秋の遠足でした。とっとり花回廊に行って美味しい昼食と綺麗な菊やコスモス、サルビアを眺めて帰りました。
天気も良く、皆さん楽しい一時だったようです。
   
 2014年9月19日(金)「敬老祝賀会」
 
米寿、白寿、100歳以上の方々を対象に表彰状の伝達と他の入居者も含めた敬老会が開かれました。
私は家族会の立場で列席し皆様へご挨拶させていただきました。
  
     
2014年8月2日(土)「夏祭り」
 台風12号の影響でしょうか風と小雨が時折あります。夕方からの「あかねの郷夏祭り」は雨を考慮して交流ホールでの開催となりました。
日南踊りに始まり源流太鼓、銭太鼓、神楽等多彩な催し物で屋外とは違い直に伝わる迫力と顔が触れ合うので和気藹々とした雰囲気で「これも良かったなあ」と感じました。
母も「神楽が良かったわ」と喜んでいました。家族会ではお茶、ジュース類の販売をしました。関係者の皆様ありがとうございました。また、お疲れ様でした。
  
     
2014年6月8日(日)「運動会など」
 5月28日は家族会であかねの北、西ユニットの窓拭きボランティアでした。夏のような暑い日でしたが大勢の会員さんや職員の方たちのお陰で南ユニットの方まで進みました。
ありがとうございました。
 毎年恒例の大運動会でした。赤、白、黄、青、緑と5組(ユニット単位)に分かれて4種目(花吹雪、空き缶タワー、パン食い、綱引き)の競技がありました。
寝たきりの人も見物され皆んなで賑やかに楽しく過ごせました。
昼食も母と一緒にユニットでいただいてしまいました。ありがとうございました。3月に手入れした、ユニットの庭にあるバラが綺麗に咲いていました。   
 
2014年5月15日(木)「花回廊へ遠足」 
  この時期は毎年の行事であかねの郷の同部屋の人たちと一緒に花回廊に行きます。今年はあいにくの小雨で昼食後の花見は屋内ドームや屋根付き回廊から眺める程度でした。
回廊を母の背中で車椅子を押して廻りながら、2009年4月に両親を連れて行った時の事を思い出して、じわじわ涙が出てきました。
あの時、父はまだ何とか自分でゆっくり歩いていました。途中何度もベンチに腰を下ろして休んでいましたが、自分も車椅子に乗りたかったのでしょうか?今、父は居ません。 
 今年は父が居ません
2009年4月に行った時
2014年3月19日(木)「バラ剪定&母遊戯」 
  午前中はあかねの郷の母が入所しているユニットの庭のバラが伸び放題だったので剪定してきました。
プロではないのでまあこんなものでしょうか。作業前と作業後です。
ついでに母のお遊びにも付き合ってきました。皆でたらいにボールを入れます。皆さんたくさんのゴールが入りました。万歳三唱です。

作業前

作業後

玉入れ
2013年6月2日(日)「花見と運動会」 
・5月9日あかねの郷の催しで母を連れて鳥取花回廊に行きました。この時期が花が一番多い時です。色とりどりの花に囲まれて楽しい一時を過ごしました。
母は元気な頃から花が大好きでしたので喜んでいましたが久しぶりに天道さんの下に出たので疲れたようでした。
・6月2日毎年恒例のあかねの郷運動会です。例年自治会の運動会と重なる為、不参加でしたが今年はこちらを優先と決めて母といっしょの半日を過ごしました。
玉入れや空き缶積みアンパン食い競争などで久しぶりに母の笑顔を見ました。
   
   
2013年3月22日(金)「母の部屋」 
 近くの施設なので週一回程度は顔を覗かせたやりたいと思ってはいますが、あれこれしている内にすぐ日々が流れてしまいます。10日程度顔を出さないと電話が掛かって来ます。
「寂しいから会いに来て・・・」と、今回は掛かってくる前に行きました。
私の初孫のお宮参りの画像が入ったタブレット端末を持って。
如何に部屋を飾っても写真を掛けても施設の部屋は味気ない様子です。「我が家に帰ってみたいなあ〜」とたまに漏らします。
そんな時は「暖かくなって外に出られるようになったら帰って、畑でも行って見ようね」と慰めます。車椅子生活なので帰宅してもなかなか自由になりません。
昨秋に書き始めさせたエンディングノートも1/3程出来ていました。
又、行くから一緒に作りましょうね。 
   
 2013年1月1日(火)「お正月」 
 新しい一年の始まりです。
今年は二男夫婦と三男が帰省してくれたので賑やかなお正月になりました。
お昼前に母をあかねの郷から連れ帰り、お屠蘇を飲んでお雑煮を食べ、お正月の行事をしました。
母は何とか会話になりますので届いた年賀状を見せると「だれだれさんは元気だなあ」と理解しますが父は今日が元旦と分かっているのかどうか。
それでもお屠蘇を飲ませるとこれは美味いなあと言います。
反面、父は食べ物を口に持っていけば何でも残さず食べますが、母はほんの少しだけ食べたらもう「ご馳走様」です。ホント、食が細くなりました。
ささやかなお正月の行事でした。 
2012年12月20日(木)「X'masパーティー」
 今日は母が入所している介護施設のクリスマスパーティに参加してきました。9名の入居者と4名の家族、介護師さん6名で賑やかにご馳走やケーキをいただきました。出し物も有りました。
入居者が寂しくならないように季節ごとにイベントを設けていただき、職員の方々の心遣いをうれしく思います。 
     
2012年11月30日(金)「母の部屋」
 あかねの郷に入所している母に「アルプス乙女」を見せたら受け取るなり「ガリっ」とかじって「硬いなあ〜」と・・・。
私が「当分飾って貰おうと思ったけど・・・」と言うと「そげか〜、じゃそこに置いて」というので棚の上にちょこんと。そしたら、まるでアップル社のマークだ!
 自宅と同じ様な環境をとの思いから自宅の部屋に飾っていた物を少しだけ持ち込んでいます。また、家族で撮った写真も飾っています。
でも、寂しい時があるようで習字や七夕の短冊には「家へ帰りたいな〜」との言葉が出てきます。
2週間も会いに行かないと母から「寂しいから会いに来て」との電話がかかってきます。
近いのでかかってくる前に訪問するように心がけています。 
     
2012年11月7日「倉敷美観地区」
 あかねの郷の「介護者の集い」
2週間も経たないのにまたまた有るんですよ!まあ、介護者の特権としましょうか。この為父を早めにショートスティに出したりして・・・。
 今回は倉敷美観地区に日帰り旅行でした。妻と二人のんびりと何年ぶりかのバス旅行。大原美術館では久しぶりに世界の名画を味わいました。
有名なエル・グレコの受胎告知やゴーギャン、モネなど。もっと時間が欲しかったですね。
チョットだけ散策、近くのホテルで昼食を摂って帰宅の途へ。
   
2012年10月24日「蕎麦打ち道場」
 あかねの郷の「介護者の集い」
 今回はそば処「かめや」さんの蕎麦打ち道場で修行してきました。
師匠の教えどうりに手際よく出来ました。切り方もなかなか細く出来ました。
家でもこのようにスムーズに上手く打てるといいのですが・・・。
やはり、手打ち蕎麦の打ちたては美味いですね。
新そばなので香りも最高でした。
味わうのに夢中で食べる所の写真撮り忘れました。
妻と2人分を持ち帰り、その日から3日間は蕎麦三昧でした。
この蕎麦にも自家製の「柚子胡椒」を載せて美味しく味わいました。
 
2012年9月4日(火)「他施設研修」
 家族会役員の他施設研修に参加しました。
今回は隣町の南部町にある伯耆の国「ゆうらく」にお邪魔しました。理事長さんの1時間以上に及ぶ熱い思いと説明に納得、自分の介護姿勢を見直さなければ・・・。
あかねより少し早く竣工したようです。共有スペースが広く、レストラン、図書室、美容室、シアターなども有ります。調度品も上品でした。あかねの郷よりワンランク上という感じでした。
他の施設を見学してみるのも良いものです。参考になりました。

父の認知症が進んでいます。
先々月までは大好きな歌(星影のワルツ、かごの鳥等)を必ず1日1回は歌っていたのですが、この頃は気が向かないと歌わないし目も開けません。
左手もコブシにすることが出来ないらしく、私が指を曲げようとすると「イタイ!イタイ!」とわめきます。
先日の夕食後、居眠りをしている父に団扇と鉛筆を持たせたところ(右画像)、30分位その姿勢で動きませんでした。
     
2012年8月4日(土)「あかねの郷夏祭り」
 今夜は母が入居している「あかねの郷」の夏祭り盆踊りでした。
家族会の役員をしている関係で夜店(飲料水販売)の店番として参加しました。
18:30から20:00までのイベントです。母も家から持ってきた浴衣を着させてもらい十何年振りでしょうか?楽しそうです。
町内有志が演奏する源流太鼓から始まりました。母は見るのは初めてのようでした。
次は各居住ユニットから入居者の皆様の出し物です。
母のグループは古事記編纂1300年に因んで、介護師さん扮する大国主命と白兎の演技に合わせて「大黒様の歌」をみんなで歌いました。
「大きな袋を肩にかけ〜♪大黒様がきかかると〜♪」 母も大きな声で元気良く歌っていました。
夜店で母も大判焼きとカルピスを買っていただきました、が「夜は食べないようにしているの」「明日頂くわ」との事。
最後は花火で締めくくりました。
施設の皆様、ボランティアの皆様、楽しい一時をありがとうございました。お礼申し上げます。
     
2012年7月14日(土)「最近の父・母」
 父:
 ボケが進行していくのが分かるくらいです。
在宅の日は「結んで開いて」体操や十八番の歌「星影のワルツ」等を歌ったりしていましたが最近はこちらから誘いかけても3回に1回するかどうかです。
食事の時意外はほとんど寝ています。
下の画像は「写真を撮るからにっこり笑って」と言ったらこんな「笑顔」になりました。
先日、息子の嫁さんが父の大好きな「アンパン」を2箱も送ってくれました。天然酵母発酵の美味しいアンパンです。喜んで食べています。(私も好きなので頂いています)

 母:
 7月14日、「あかねの郷」介護施設に母を訪ねて昼食会してきました。
通年入居になって9ヶ月あまり。生活に慣れたとはいえ寂しい時があるようで2週間も訪問しないと会いたいと電話が掛かる。介護師さんの計らいでこのようなイベントをして頂きありがたい事です。
七夕飾りがしてありました。童心に帰っての楽しい行事でしょう。
昼食会はそうめん流しや天ぷら、餃子、サラダ、から揚げ、おにぎり、スイカ等などご馳走でした。
でも、母は少食でおにぎりは半分、サラダ、そうめんを少々・・・可哀そうなくらい食べません。
長時間は座っているのが辛いのか?30分程で自室に戻ってしまいました。
また、会いに来ますからね。 
     
   
2012年5月11日(金)「カーネーションの代わり」
 「あかねの郷」に入所している母の処にカーネーションならぬクレムソンクローバーを持って会いに行きました。
週一で面会しょうと思ってはいますがなかなか行けません。
今回は2週間ぶりでした。会いたかったようで喜んでくれました。
会ってもそんなに話があるわけではないのですが世間話や家の稲作の準備の事等を話して聞かせます。
私が帰農するまで、父が農業が出来なくなって10数年は母が一人でやっていたので気になるようです。
「無理をするな、無理をするな」が口癖のように出てきます。
「大丈夫、大丈夫」が私の応え。
幾つになっても子は子・・・。母は母・・・。  
 
2012年04月26日(木)「花回廊」
 先日、”あかねの郷”から「とっとり花回廊へ遊びに行くのでお母さんのお供をしていただけませんか?」とのお誘いがありました。
昨日は久しぶりの花回廊で母ともどもチューリップを満喫してきました。 
「あかねの郷」入所中の母&他のお年寄り2名&職員さん3名&私達夫婦の8名のメンバー。
12時食事後、ぐるーっと見て廻りました。チューリップ、八重桜、ハナモモ、ムスカリ、パンジー、ビオラ、デイジー等・・・。本当に色とりどりです。年間で一番色数の多い時期ではないでしょうか。
花が大好きだった母は見るよりも「自分で作りたいのだろうなあ」と思ってみたり。
母は私が車椅子を押す度に「重いだろ〜」「ゆっくりでいいよ〜」と気を使います。
最後は梨味ソフトクリームを食べて14時終了。日差しも弱く、普段外に出ないお年寄りにも過ごしやすかったようです。
私達はもう少しバラとハーブ等を観賞。バラはこれからですが剪定や誘導の仕方、ハーブは植付け方法等を入念にチェックして帰りました。
     
2012年03月12日(月)「姉兄妹集合」
 2月29日は祖母の命日です。祖母は私が高校を卒業する年に亡くなりました。
なので4年に一度しか命日がありません。

祖母の命日を口実に父母の姉妹みんなに声を掛けてたまの息抜きにと昼食会をしました。
父の姉妹5人の内、戦死した長男を除き4名は皆健在です。
母は姉1人で健在です。
といっても父母はご覧のように車椅子生活なので自由が利きません。
お寿司を食べながら話が弾み、楽しいひと時が過ごせたようです。 
 
2012年01月02日(月)「記念写真」
 大晦日の日、起床したら親父の大きな声が聞こえたので部屋に行って見るとベッドからずり落ちて「寒い寒い」と言っています。
元に戻しておしめ替えてなだめていたところ、
「記念写真を撮らにやーいけんけー起してくれー」との事。「何の写真を撮るでゃー?」と私。
「結婚記念の写真」、「誰とー?」
「おかあさんと」、「えっ、まだ結婚しとらんだかー」
「あん時、いい写真を撮れざったけー」「・・・・」 言葉に詰りました。

元旦に母を介護施設から日帰りで連れ帰る予定でしたので、お屠蘇とお雑煮を食べた後、写真撮影となりました。
礼服とまでは行きませんが寝間着姿でお互いに手を握り合い、「笑顔でー」との合図で「パチリ」。
昭和21年1月吉日に結婚して66年目父92歳、母84歳です。
この両親が居ればこその私達兄弟です。
静かで無口だった父は病気後、余計に無口に。それなりに快活だった母はよりおしゃべりに。

堂々の人生です。顔をお見せしてもいいでしょう。→ 
 
2011年11月24日(木)「父の十八番」
 父が退院してから1ヶ月が経ちました。
寝てばかりでは良くないと思い、朝ごはんの後、少しばかり手足頭を動かす事をし始めました。
まず、「むす〜ん〜で〜♪、ひ〜らい〜て♪ 」と歌いながら手のひらを閉じたり開いたり、手を上げたり、耳に持ていったり。
なかなか歌どうりに出来ないので私が手を添えます。
寝てばかりなので、足は立たない、手が上がらない、首が曲がらない、腰も前に曲がりにくい等硬直人間なのです。

声を出さないで動作だけするだけなので「大きな声で一緒に歌おうよ!」と言ったら、なんと「結んで開いて」を歌い始めたではないですか。
歌詞は少しは覚えているようで歌いながら手を動かします。
その日は「親父の好きな歌があっただろ」と言って、私が「分かれ〜るこ〜と〜は辛いけ〜ど〜♪」と歌ったら一緒に歌い始めました。
そうなんです。父は元気な頃「星影のワルツ」が十八番だったんです。
その日以降は毎朝体操のつもりで「結んで開いて」と「星影のワルツ」「お座敷小唄」を歌うようにしています。
たまに調子の悪い日はやれないですけど。
でも、ここ数年ほとんど歌など聴いたことが無かったので奇跡的でした。
 今度米子に出たら歌謡曲のCDでも探してみます。
 
2011年11月14日(月)「母の希望」
 10月17日、母を介護施設に通年入所させました。
母は脳梗塞を発症する前から「動けなくなったらあかねの郷へ入れてくれ」と言っていました。
私としては出来るだけ自宅介護をしてやりたかったので再三の注文にも生返事で「順番待ちだよ」と答えていました。
しかし、父の病状が悪化した上、退院が決まりました。車椅子2台は寝室に入らないし、介護も大変になってはどちらかを通年入所させないと無理な状態です。
可哀そうだけど母を入所させることにしました。本来は順番があり、介護度5の父の方が早い順番ですが状況から母を入れることにしました。
母も今まで月の半分はショートスティで行っていたので施設の生活には慣れてはいましたが本決まりになるとやはり寂しそうです。
介護施設が近いので週一回程度は会いに行ったり、一時帰宅などで慰めてやるつもりです。
2011年10月15日(土)「父の退院」
 2ヶ月強の入院生活を終えて父が帰ってきました。
入院時はまったく飲み込みが出来なくて点滴で栄養補給するだけでしたが驚異的?な回復でパン粥が食べられるようになりました。
アンパンやおはぎ等も好きでその程度なら飲み込めるようです。
しかし、入院前にはおしっこはベッド脇で立って尿瓶に出来ていましたが、今では介護用オムツです。立つ事は出来ますが歩行も無理です。
食事も自分ではまったく出来なくなり、介助が必要です。
でも、食事とお通じの世話だけで他の時間は静かに寝ていてくれるので助かります。
今年の春から見れば随分悪化しましたがお迎えが来るのはもう少し先のようです。
2011年8月31日(水)「嚥下障害の父」
 8月7日とうとう父を入院させました。
7月中旬から食べ物の呑み込みが難しくなっており、「ゴックンして」と言ってもなかなか飲み込めないのです。
数回「うっ!、うっ!」といいながらやっと喉を通っていく始末。
8月6日は、ほとんど食べた物が喉を通らなくなってきました。
8月7日朝、日曜日でしたが病院に電話して症状を伝えると「入院して様子を見ましょう」との事。
こういう時、地域に密着した病院はありがたく思います。
  検査したところ肺炎になっているとの事。熱も38.6度あったようです。無理やり食べさせたのが良くなかったのかな?
入院後1週間は点滴だけ。意識も朦朧としており、こちらの言うことが分かっているのか、いないのか?
その後、ゼリー状の物を食べさせようとしても、口を閉ざして拒否してしまいます。食べようとする意欲が無くなったのでしょうか?
それでも看護師さんが根気強く対応してくれて、最近では朝と昼、パン粥程度は食べれるようになりました。
私が見舞っても目を開けて応じるようになったので、少しづつでも回復に向かっているようです。
  8月31日、父の所へ母を連れて行きました。2人部屋なので車椅子の母に顔を見せることが出来ました。
今日は大好きなアンパンを買っていったら、小さいのを1個食べました。美味しかったようです。
でも、食べながら寝てしまいます。その度にゆすり起こして飲み込ませ、口の中のパンが完全に無くなっているのを確認しないといけません。
まだ、意識が少しはあるので何とか思いが通じます。
しかし、5月8日(下の写真)頃は歩けないまでもまだ外に連れ出すことが出来ました。入院した今ではもう寝たきりの状態でどうすることも出来ません。これが父の運命なのでしょうか。
同室の隣の方は意識もなく胃に管を挿して栄養物を注ぎ、ただ息をしているだけという状態のようです。
どうしたら穏やかな最期を迎えさせることが出来るのか考えさせられます。
 
 2011年5月8日(日)「母の日はオープンカーでドライブ」
 今日は巷では母の日です。私からはこれといってプレゼントするものが無い。天気も良いので午後のお散歩をしました。
「親父も一緒に行くか?」と聞いたら、何時も「わしゃ行かん!」と言うのに今日は「行って見るかなあ〜」と言う。そうはいっても二人を一緒に連れ歩くには車椅子が2台必要だし、私一人ではチョット大変だ・・・。
という事で普段農作業や土砂運びに使っている通称「田吾作」に乗せてオープンカードライブと成りました。
自宅から山手の小道を進み神社の参道を下り、我が家の倉庫を通って水稲の育苗ハウスを見学。その後、農道を進み橋を渡り川向の田んぼへ。
途中から引き返して川の横の作業小屋、通称「リバーサイドコテージ」で八重桜を見ながらジュースを一杯。
お袋が元気な頃は何時も美味しい野菜を作ってくれていた畑と栗や柿等の果樹園を視察。
そうしたら親父がもう帰ろうと言い出した。お尻が痛いらしい。ダンボールの敷物では痛いかな?
お袋もおしっこがしたいと言う。
約1時間のオープンカーのドライブでしたがエンジンの音がチョットうるさかったですね。
2011年3月25日(金)「父の歩行能力」
 昨日、2週間のショートスティが終わり両親が帰ってきました。
父はショートに行った後ちょっとの間は割合しっかりした受け答えが出来ます。さっきもおしっこをさせると「ありがとう」と言います。でも、明日ぐらいになるとほとんどしゃべらなくなるでしょう。
歩行はほとんど出来なくなっています。今年に入ってからは母の車椅子を共用で使うようにしています。(部屋に2台は置けないので)
母は朝6時半ごろ起きて自分で車椅子に乗り、洗面等をします。父にはまったくその気が無いので私が朝食の前に車椅子に乗せて洗面させ、ダイニングに連れて行きます。
食卓の椅子に座らせてから、車椅子を寝室に持って行き母に返します。母は自分で乗り移り、ダイニングに来ます。
食事後、母が先に寝室に戻り、私が車椅子をダイニングに取って返して、父を車椅子に乗せ換えて入れ歯を洗面所に置いて寝室に戻ります。
以前はゆっくりでもいいので歩かせていましたが最近は立っていることすら出来なくなりつつあります。
何とかおしっこの時だけ立たせて私が尿瓶を添えます。たまに素チンが口から外れておしっこが私の手に懸かります。ううう〜っ。
まあ、まだおしっこはいい方です。うんちより・・・。
車椅子の定位置は母のベッド脇です。
 2011年2月8日(火)「便秘」
 母は毎日「腹が張る、便秘だ!」、「肉は便秘になるから食べない、ご飯は少しだけでいい」」等言います。
父は口に入れてやると何でも黙々と食べます。元気な頃は「魚は嫌いだ!野菜も要らない!豆腐も嫌いだ」と好き嫌いが激しかったのに・・・。
母は排泄後のすっきり感が無いらしく下剤を呉れと常に言います。少し前までは言いなりに出していたのですが体に良くないので週2回程度にしています。
そこまで気にしなくても良さそう思うくらい気遣いをします。
 父は排便の感覚が無くなっており介護側が排便日を把握していないと1週以上止まったままという事があります。
今回も3日程出ていないので毎日下剤を飲ませたのですが効き目がありません。8日目にオムツに少しだけうんこが付いていました。肛門を覗いて見ると穴から堅そうな塊が覗いています。トイレに座らせて頑張らせても「肛門が痛い痛い」と言うだけです。俗に言う糞詰まりです。
イチジク浣腸を差し込みましたが入れたはなから液だけ出てしまいます。
最後の手段はビニールの薄い手袋をはめて人差し指を突っ込み指で掻き出します。
堅い塊を5,6個出したら柔らかいのが出始めました。もう、私の手袋と腕は糞だらけです。
でも、7日分のうんこの量は出ていません。腹をさすったり息ませたり色々対処しますが本人の感覚が無いのでどうにもなりません。
そのような日は3〜4時間ごとに少しづつオムツに出てきますので頻繁に様子を見ないとオムツだけでなくパジャマも汚れます。
経験しないと分からない介護の辛さです。
 2010年4月15日(木)「歩行対策」
 父の歩き方が良くない(悪い時はほとんど立てない、足を前に出せない、すり足で歩く等)ので歩行器を試行的に借りてきた。
2週間ほど借りて使いやすかったらレンタルする予定だったがやはり危なくて操作させられない。歩行器に頼ってしまうのと、後ろに重心が来るので必ずサポートが要る。
使わせようとしても本人が使おうとしない。
母が左半身不随で車椅子は必須なので車椅子2台目を入れるのは無理がある。
何とか足が立つ内はサポートしながら手すりを使わせた方が足腰の衰えも少ないかも、ということで寝室、廊下等に4箇所手すりを取り付けた。
母は車椅子からベッドや便器に映り時の振る舞い方やリハビリの為病院から週2回指導に来てもらっている。良くなる事はないが少しでも気休めになればいいのだが・・・。
 
 2010年3月22日(月)「母・父の症状」
 母が病に倒れてから丸3年が経過した。
元気な頃は田畑仕事や園芸・読書等の趣味も何でも頑張る気丈な母だったが脳梗塞を起こしてからは何もする気力が無くなっている。
以前はテレビや本も少し見たり読んだりしていたが最近は食事以外は寝てばかり。先日、介護師さんが組立て式時計の枠を塗装する遊びを試してみてくれた。でも、表面一枚塗るのがやっとのことである。
ちょっと長く座っていると腰が痛いらしく「横になりたい」と言う。
トイレが1時間に1回と近いので医者に診てもらったが特別異常は無いとのこと。精神的なことかも知れない。

 は昨春、花回廊へ行った時の元気はもう無い。
歩くのもおぼつかないほど足が弱り、認知症(アルツハイマー)が次第に進行しているようだ。
動作が遅くなり、何かをする時どういう順序で手足を動してよいかが分からないらしい。食事は30〜40分くらい掛かって食べる。会話もほとんど出来なくなりこちらが話しかけても頭の中で上手くまとめられないのか中々答えられない。大小便は感覚がほとんどないようで紙おむつでの用足しが日常的になってしまった。
妻が度々おしっこは?ウンチは?と問いかけても「出ない」、「無い」、「行かない」というだけ。
母より父の方が症状は悪くなってしまった。
 
 2009年6月21日(日)「父の幻覚症状」
 2週間前の水曜日、夜帰宅したら父の様子がおかしい。
手を空中にかざして何かを掴もうとしている。目も虚ろで訳の分からないことを大きな声で言っている。
夜中も2時間間隔で起きては夢遊病者のような状態になっている。
一緒に寝ている母も疲れている様子。
翌日、休みを取って掛かりつけの病院に連れて行った。
診察中は割りとしっかりしている。頭のCT、血液、血圧等検査したが先生にも良く分からないらしい。
新しい薬を出して様子を見る事とした。
 1週間何とか良かったが、また、今週水曜日辺りから幻覚症状が出てきた。
「火事だ!早く来て火を消してくれ〜」
「車がバックする。歯止めをしろ!!」
「水が出た。流される〜」
「泥だらけだ。穴に吸い込まれるぞ」
「お坊さんが大勢周りを歩いている、どうした事だ」
「この家は土台が曲がっている、早く直さないとつぶれるぞ」
など大声で叫ぶ。ベッドから落っこちる。支えていないとまっすぐ立てられない。
真夜中に騒ぐので大変だ。
身体は起きていても脳内は眠っているのだろうか?夢を見ている状態だ。やはり認知症の一種だろうと思う。
金曜日は先生に往診してもらい点滴を受けた。夕方には落ち着き次第に平常に戻った。
日中寝てばかりいることも良くないだろう。気分転換が必要かもしれない。
 ということで翌土曜日は近くの町へ買い物がてら家族で昼食を食べに行った。
行きの車の中で、私が「何が食べたい」、父「焼肉!(大好き)」、母「肉は食べにくいからいや、パンがいい」、「ファミレスしかないなあ」と妻と話した。
ジョイフルに入り、父は生姜焼き定食、母は和風ハンバーグとクロワッサンを食べさせた。
話もせずも黙々と食べていたが美味しかったようで完食だった。
その後、スーパーマーケット内では車椅子に乗せてお買い物。お腹がいっぱいなのか何が欲しいとも言わず・・・。
甘いものが大好きの父。今日が父の日、数日後が父の89歳の誕生日なので大きなショートケーキを買った。
 2009年4月18日(土)「久しぶりのお出かけ」
 天気が良いので両親を連れてチューリップが咲き乱れる「鳥取花回廊」に行って来た。母は私が車椅子を押すので問題ないが父は数十メートル歩くと「ちょっと休憩」の繰り返しだ。いらいらするなあ〜。それでも1時間ちょっとで回廊半周回って戻ってきた。
レストランで幕の内弁当を食べ、父には久しぶりの生ビールを飲ませたら美味しそうに飲んでいた。
毎日毎日、何をする訳でもなく、食事をしたら寝るだけの生活、最近はテレビもあまり見なくなった。頭も次第に衰えているのだろうか?
 「たまにはこうした楽しみを味わわせてやらないといけないなあ〜」と感じているところ・・・。
 
2008年4月10日(木)「親孝行?」
 両親の介護を本格的にするようになってから1年数ヶ月が経った。このページに書くことが面倒なほど色々な事がある。
このコーナーを作った時は出来事を順次掲載するつもりだったがなぜか載せるのが億劫になった。
たまに、父・母の後姿を見ていると哀れさを感じる。それぞれに望みもしない病に侵されて治る見込みもなく、先々の希望、
楽しみ、なにもないのである。
だから載せるのが億劫になったというわけではない。ほかの事に比べるとなぜか載せるのがつまらないだけである。
だから今回は「つまる」事があったので載せる事にした。
2番目の弟が海外勤務が終了して帰国したので、この機会を捉えて親子5人水入らずで近くの保養施設で1泊した。
何十年ぶりかな、親子だけは初めてかな?
半身不随の母が耐えられるのか?心配したが身体傷害者用の特別室があったのでなんとか大丈夫だった。
みんなが元気で集いあうのが一番だがそうならないなら、一緒に美味しい物でも食べて一時を過ごそうということなのだ。
自己満足かも?
2007年4月11日(水)「デーサービス」
父、母は数キロ離れた介護施設に月・木曜日の週2回デーケアサービスに行っている。なるべく家に引き込もらないでストレスを開放できるように、また介護する側も少しでも世話から開放できる日を作るためでもある。
このような福祉サービスを有効に利用することで介護する側もされる側も気持ちの良い生活を維持することが出来るでしょう。
車椅子での送迎になるため室内から出入り出来る様にしなければいけない。
リビング→ウッドデッキ→スロープ→庭玄関前のスロープ→送迎車、玄関前の石畳が少しがたがたするが何とか通る事が出来る。
2007年4月1日(日)「ハンガーストライキ」
 
今日は午前中稲作の育苗用ビニールハウスのシート掛けをした。
昨年までは母の指揮で進めていたが今年からは私と妻の二人での作業になった。
朝食後作業に出て昼過ぎに終って帰って見ると母のお昼御飯がそのまま残っていた。
どうしたのか父に聞くが理由が分からない。
母はベットの中で何か呟きながら泣いている。
妻が午後のおやつのケーキを用意していたがそれも食べずに残していた。
夕方仕事を終えて帰ってくると母の機嫌が直っており、母が「今日はわがままを言ってごめんね」と言った。
父からハウスの作業をしていた事を聞いたようだ。
機嫌が悪かったのは、私が母の言う事(寝室にTVを置いて欲しい)を聞かずに仕事に出てしまった事に腹を立てていたらしい。
子ども返り現象の一つだろうか?
2007年3月31日(土)「焼き魚」
 
父は寡黙でおとなしくどちらかと言えば寝ていた方が好きなタイプ、食べ物も偏食形。
母は割とよくしゃべり、常に何かしていないと落ち着かないタイプ、何でも良く食べる。
 
昨日の夕食時、妻から聞いた話
母「おじいさんはいつも残すから私の焼き魚を半分あげる。おじいさんのは食べないで取っておいたら・・・」
父「・・・・」
母は早食して、父に焼き魚の半分を渡すのを忘れて完食した。
頭と骨だけの皿を横目で見ていた父「・・・」
ゆっくり食べている父に向って妻が「良いですよ。残してもいいからおじいさんのを食べて下さい」
父「わしゃー要らん!」
どうも、母に半分ずつ食べようと言われ、その上魚を全部食べられて拗ねたらしい。
父は魚嫌いと聞いていたが、最近は魚を喜んで食べていた。
お陰で私の昼ごはんのおかずに残り物の焼き魚が付いた。
2007年3月29日(木)「介護者と非介護者」
 退院して1週間が経った。
今まで介護される側だった父が母の左手と左足の役を果たしてくれている。
父はアルツハイマーの初期段階で以前は歩くのも話すのもおぼつかなかったが2年位前から進行が止まり、軽い散歩やテレビを見ることが出来るようになった。しかし、思考力は悪くこちらが言う事にかなり時間を掛けないと理解できない事が多い。本を読んだり趣味の何かをするということもあまり興味が無いようだ。母の方は頭はしっかりしているのでデーサービスに行く時の着る物や持ち物など父を指図して仕度をしている。
お陰で私たちが助かっている事も沢山ある。
 先日、トイレの手摺りを日曜大工で設置した。材料費3917円は介護保険から90%の補助が出る。車椅子でトイレに行って一人で用を足せるので私達も楽である。簡易トイレは当初思っていたほど使わなくて済んでいる。
 片手しか使えないと言う事はトイレットロールを使いにくいということで厚手の落紙を2枚をふたつ折りした物を使っている。
2007年3月25日(日)「写経」
 
母は入院・療養中にリハビリの意味で写経をしていた。帰ってからも一枚写経した。それをお寺に納めたいとの希望でお寺さんに連れて行くことにした。
しかし、お寺さんは石段や坂があるので車椅子は難しい。仕方が無いので境内まで自家用車でそこから背負って行った。
「たわむれに母を背負いてそのあまり、軽きに泣きて三歩歩まず」石川啄木の歌どおり、病開けの母の体は思ったより軽かった。
不自由な左手は肩にかからず、私の首に回してきた右手もやせ細っていた。
お寺の本堂への板場から畳の場所まで右手、右足でいざりながら必死にもがく母を見ていると目に熱いものが込上げてくる。
0.1%の可能性を求めてお祈りをする姿は「人間に対する神の無常さ」を感じざるを得なかった。
2007年3月22日(木)「母が帰ってきた」
 母が3ヶ月ぶりに帰ってきた。
昨年末に脳梗塞で緊急入院していた。
医者から左半身の麻痺はもう直らにだろうと宣告され、介護認定4級となり車椅子での生活を余儀なくされた。
父も8年ほど前から少し介護が必要で母が面倒を見ていたがここに来て2人をいっぺんに介護する事になり私も妻も面食らっている。
 今まで離れでの別生活から一緒の生活が始まった。
幸い新築時に介護を想定したバリアフリーの設計をしていたので特別な改造はなくトイレに手摺りを付ける程度で何とかなりそうだ。ただ、外へ出るときの為車椅子を玄関に横付け出来るようにするため玄関前の階段にはスロープを準備した。
介護用のベットとベットテーブル、車椅子をレンタルすることにした。簡易トイレは36120円で購入した。

入院中は、急に倒れたことで本人にとってかなりショックだったようで、2度と二本の足で歩けないと知ると気の強かった母も「あの時死ねばよかった」とか「早くあの世へ行きたい」等と言ったり、泣いてばかりいる状態が続いた。
「ワラ人形のクギを早く抜いてくれ」「お前は家に帰したくないから退院を長引かせているだろう」等、夢と現実の区別がつかない事やおかしな話をする。
こちらも付添いが重荷になる時少し辛く当たると「いじめる」とか「お前は薄情な子だ」等と言う。元気なころの優しかった母とは違う人間になったようで悲しくもあり情けなくもありこちらもむきになってつい反論する。退院前の一時期はそんな状況もあった。
しかし、先日TBSのTV番組金スマで安藤和津の「壮絶な介護」を見て自分の考え違いに気付いた。病気のため今の母には心のよりどころが無くなっているのだ。私達家族しか頼る所が無いのに私たちが冷たくすれば絶望があるのみだ。抑制心を司る前頭葉が脳梗塞により侵されているのかもしれない。
優しいいたわりの言葉をかける事や母の存在が必要な事を言葉で話しかけ、少しでも心が安らぐようにしてやるよう心がけるつもりだ。